元阪神外野手で球団フロントとして査定担当や管理部長を務めた石田博三氏(いしだ・ひろぞう)が4月30日、胃がんのため滋賀・草津市内の自宅で死去した。83歳。葬儀は執り行った。喪主は妻の多恵子さん。

草津市出身で膳所から58年に大阪(現阪神)に入団。182センチの長身で右投げ右打ちの外野手として64年までプレー。通算114試合、打率2割4厘、1本塁打、6打点。79年にコーチ補佐としてチームに戻り、その後フロントとして査定担当や管理部長などを歴任し02年オフに退団した。

管理部長を務めていたのは暗黒時代。選手の暴言やトラブルなどが起これば事情聴取を行い、契約更改の場では選手との交渉役だった。当時は毎年のようにもめていたため、00年春の安芸キャンプでは、球団史上初の「査定説明会」を開催。石田氏が外国人を除く1、2軍全ナインに査定方法を説明した。

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