元阪神外野手の横田慎太郎さんが脳腫瘍のため、18日に28歳の若さで亡くなった。21日に通夜、22日には葬儀・告別式がそれぞれ生まれ故郷の鹿児島・日置市内で営まれた。日刊スポーツ評論家の鳥谷敬氏(42)は縦じまユニホームで共に戦った日を思い返し、「天国でもう1度、野球を」と追悼した。【聞き手=佐井陽介】

   ◇   ◇   ◇

「野球の神様っているんだな」。横田さんにそう伝えた日のことはよく覚えています。19年9月26日の鳴尾浜球場。彼の引退試合となったウエスタン・リーグのソフトバンク戦で「奇跡のバックホーム」を決めた直後の話です。

自分はその日、福留孝介さんたちと鳴尾浜を訪れていました。もちろん横田さんの最後の勇姿を見届けるためでした。ベンチ裏のロッカーから約3年ぶりの公式戦出場を目に焼きつけたのですが、センターからストライク返球で二塁走者を刺した瞬間、鳥肌が立った記憶があります。

ただでさえ脳腫瘍の影響でボールがかすんで見えづらいのに、完璧な送球でアウトにしてしまうのですから、本当にドラマのような光景でした。あまりに驚いてしまって、ベンチに戻ってきた横田さんに「野球の神様っているんだな」と声をかけました。

彼と一緒にプレーさせてもらった期間は実質、16年シーズンの1年間しかありません。年齢が14歳も離れているし、ポジションも内野と外野で違うから、練習メニューを一緒に回ることもほとんどありませんでした。ただ、本当に真剣に野球と向き合っている姿は知っていたつもりです。

甲子園で試合を終えた後、確認したいことがあって室内練習場に入ると、必ずと言っていいほど横田さんがマシンを打ち込んでいました。何度となく同じ空間でバットを振り続けたものです。誰かが止めない限り、朝までずっと野球をしているんじゃないか。そう思うぐらい、野球のことが大好きな後輩でした。

そんな姿をみんな見ていたから、多くの仲間がわざわざ引退試合に駆けつけたのだと思います。今振り返っても、選手から裏方さんまで一緒に時間を過ごしたことがある人で、横田さんのことを嫌っていた人を聞いたことがありません。それぐらい誰からも愛された選手でした。こちらが心配してしまうぐらい、純粋で真っすぐな人間でした。

引退してから講演活動などで活躍されていたことは知っていました。1度再発してから元気になったところまでは聞いていましたが、まさかこんなに早く亡くなってしまうなんて…。球団の方から訃報を知らされた時は言葉を失いました。ただただ残念で悔しいとしか言いようがありません。

あれだけ野球漬けの毎日を送っていた横田さんのことです。引退後は大好きな野球ができなくなって、ずっと歯がゆかったのではないでしょうか。講演会でも自分の辛い実体験を思い出しながら人に伝え続けないといけない。本当に大変な日々だったと想像します。

4年前のあの日、彼に「野球の神様はいる」と伝えました。ただ、本当に神様がいるのかどうか、今はもう分かりません。あんなに「いいヤツ」がこんなに早く天国に旅立ってしまったのですから。きっと横田さんも、もう1度野球をしたかったはず。もしかしたら自由に野球ができる世界に旅立ったのかもしれない。今はそう願うしかありません。