阪神岡田彰布監督(65)が、75歳で亡くなったOBの古沢憲司さんに弔い星を届けた。古沢氏も猛虎魂をを燃やした伝統の一戦に快勝。「ずいぶん前から、がんで体が悪いとは聞いてたけどな…」。年賀状のやりとりは続いていたが、近年は会えなかったという。

阪神での現役時代は入れ違いだったが、広島の投手時代に対戦して6打数1安打。オリックスから98年に2軍助監督兼打撃コーチとして阪神に戻ってきた時、古沢さんは2軍投手コーチを務めており、3年間一緒に若虎を育てた。

「最初の時、ケンカしたわ」。98年の高知・安芸キャンプで古沢さんと口論になったという。サブグラウンドでの投内連係で、遊撃手の入り方を岡田2軍助監督兼打撃コーチが指導したところ、古沢さんが「越権行為だ」と怒ってもめたという。「(その日の)夜間練習後に(古沢さんの)部屋に乗り込んで、それで和解したんや」と笑った。99年から2年間は、2軍監督と投手コーチの関係でタッグを組んだ。「熱いどころじゃないよ。乱闘になったら一番に(飛び出して)な」と熱血漢を懐かしんだ。

岡田監督がセ・リーグを制覇した05年、古沢さんはドミニカ共和国のカープアカデミーでコーチを務めていた。たまたま日本に戻っていた時に広島市民球場で再会。「監督、やったなあ。やると思ったけど、やっぱり優勝したなあ」と祝福されたという。岡田監督が「ドミニカはどうですか?」と尋ねると、古沢さんは「パチンコ屋がないから暇や」と笑わせたという。

古沢さんはV9時代の巨人相手にも闘志全開で、ONらにも真っ向勝負で立ち向かった。遺志を受け継ぎ、05年以来の「アレ」を天国に届ける。【石橋隆雄】

◆古沢憲司(ふるさわ・けんじ)1948年(昭23)3月31日生まれ、愛媛県出身。実働19年、3球団で通算543試合(先発206試合)に登板し、87勝115敗、25セーブ、防御率3・72。球宴出場2回。76年には王貞治にベーブ・ルースに並ぶ通算714号を打たれた。現役時代は181センチ、73キロ、右投げ右打ち。