経営合理化の一環で、09年限りで休部となった日産自動車の硬式野球部が活動を再開する予定であることが4日、明らかになった。25年からの活動再開を目指す。

一報を受け、同社OBの西武熊代聖人2軍外野守備走塁コーチ(34)は10日、「うれしいっすよ、やっぱり。本当に復活するんだ!って喜びしかないですね」と笑顔を見せた。

今治西(愛媛)時代に3度、甲子園に出場。3年夏はエースで4番を任され、卒業後の08年に日産自動車へ入社した。即戦力の内野手として都市対抗野球出場に貢献したものの、入社後2年足らずで休部に。だから“最後の日産戦士”になった。忘れない。

「最後の日産メンバーだったので、あの時のつらさは今でも覚えてます。思い出します。最後に日本選手権に負けた時、これで終わりか、みたいな。あの時、ベテランも若かった僕たちも、年齢問わずやっぱみんな泣いてました。あの光景は今でも覚えてます」

座間工場に勤務し、学校の社会科見学などに携わる業務をした。仕事を終えれば練習へ。

「世の中の社会勉強ももちろんですけど、野球にしても『野球ってこんなに細かいんだ』っていうのを学べて、自分にとっては本当に濃い2年間でしたね」

赤いユニホームが象徴的だった。熊代コーチが思う日産野球部の“色”は。

「泥くさく、スキなく。全てにおいて。走塁も守備も、何にしても細かいんで。派手なとかそんなイメージ、ないんで」

今は現役引退し、プロの世界でそんな守備走塁部門の育成を任される。古巣復活の署名活動などにも協力してきた。これからはまだ見ぬ“新たな日産戦士”たちを1人のOBとして応援していく。

「時代も変わってますし、野球指導というか、野球自体もシフトチェンジしてるんで。どういう日産野球になっていくのかなっていう楽しみもあります。何にしても、復活するのは本当にうれしいっすよね。名門って言われる、日産自動車ですから」

白い歯を見せ、おどけながらも、誇らしげだった。【金子真仁】

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