今でも本棚の片隅には岩波文庫版の「資本論」と「共産党宣言」が赤茶けている。マルクスの名に青春時代の思い出の断片を重ねる年配者は少なくないはずだ。

4日公開の「ミス・マルクス」は、カール・マルクスの末娘エリノアの知られざる半生を描いている。

通り一遍の伝記物ではない。秘書として父を支え、労働者や女性のために闘った半面、浪費家で浮気者のパートナーに翻弄(ほんろう)された、のたうつような人生をパンクロックに乗せて描いた異色作である。

「コズモナウタ 宇宙飛行士」(10年)で注目されたスザンナ・ニッキャレッリ監督の美意識が随所にちりばめられ、ペイズリー柄のような衣装アレンジはモダンで、ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」(07年)を見た時の感じを思い出した。

映画はカール・マルクスの葬儀から始まる。墓地でのエリノアのあいさつには知性があふれ、参列者の中には父の盟友フリードリッヒ・エンゲルスもいる。

エリノアはここで出会った劇作家のエドワード・エイヴリングにどうしようもなく引かれていく。ドイツ社会主義労働党の任命で出掛けた米国講演旅行では、過酷な環境に置かれた労働者や女性を励ます一方で、同行したエイヴリングがセッティングした高級レストランでの食事や花で埋め尽くされたホテルの部屋に心ならずも女性の喜びを感じてしまう。

帰国後、党からはエイヴリングの浪費を非難されるが、エリノアは意に介さない。しかし、彼の浮気グセや浪費はエスカレートするばかり。彼女が敬愛するエンゲルスからも借金したことが明らかになる。

労働者や女性の解放を説きながら、私生活ではそんな男に縛られる。彼の自由そのままの生き方も否定できない。嫌いではない。彼女が翻訳したイプセンの「人形の家」のセリフがそんな自己矛盾の負の部分を照らし出す。

「最初は父によって、そして次はあなたによって、私は不当に扱われてきた。あなたと居て幸せだったことはない」

エリノアを演じるロモーラ・ガライはフランソワ・オゾン監督の「エンジェル」(07年)が記憶に残っているが、今回も抑制の効いた演技が素晴らしい。マルクスの娘として生まれた運命、そしてエイヴリングと出会った運命…時代を超えた女性像。その強さともろさがじわっと伝わってくる。

精神的な解放と堕落を象徴するツールとして登場する「アヘン」を吸い、思いっきり踊る最終盤のシーンにダウンタウン・ボーイズのロックがかぶる。悲しいが、不思議と気持ちが良くなる幕切れだ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)