誰もが早すぎる引退だと思った内田篤人選手の最後。ただ、引退に早いも遅いもなく、その線引きは自分の中で決めるしかない。引退するときを年齢で考えるのか、パフォーマンスで考えるのか。内田選手はその答えを後者で出した。

僕は彼との面識は全くないので、どんな心情でどんな思考を繰り返してきたかはわからない。ただ、試合後のスピーチと70分に及ぶ彼の引退会見を聞いていると、そこにサッカー選手として、人としての本質があるように思えた。

僕も今年をラストイヤーと位置づけ、自分との戦いを続けている。比べる必要はないし、比べることすらできないけど、内田選手の言葉は今の僕の胸に大きく響いた。それは「なんとなく」をやめるという、できそうでできないお題への思考と行動だ。

僕が今年をラストイヤーに決めた理由は「なんとなく」からの脱却だ。理想や空想は誰でもできる。でも大事なのは、それをピッチで見せ続けることができるかどうかだ。クオリティーという言葉で片付けてしまえばそれで終わってしまうが、そこには何かしらの使命感が備わっているはずだ。言い換えれば「なんのためにサッカーをしているのか」ということ。内田選手はサッカー界の発展と同時に、鹿島アントラーズを常勝軍団としてこの先に継承していく使命があったのだろう。それがプレーで見せられなくなり、なんのためのサッカー選手なのかという問いへの答えが「引退」を意味したのだと思う。

僕自身、何のためのサッカーなのかと問われれば、答えはひとつ。それは、働くおっさんたちへのエールだ。そこには「何事にも始めるのに遅いことはない」というメッセージ付きだ。ただ、それは「なんとなく」続けていたらそんなエールは誰の心にも響かない。コロナウイルスでJクラブも苦しい局面を迎えている。そして来年はもっと苦しい状況になるだろう。もし、所属クラブが存続しなければ、「なんとなくJリーガー」の価値は一瞬にして無価値へと変わる。これは幻想でも空想でもない。本当に起こる可能性が高い現実の話だ。

Jリーガーだけではなく一般的にも同じことが言えると思う。なんとなく日々を過ごし、月末には給与が当たり前のように振り込まれる。しかし、その当たり前が音を立てて崩れ始めている。そのときに「なんとなく」の代償はものすごいパンチ力でやってくる。何のために僕らはその職業につき、なんのために日々、体を酷使して戦っているのか。そこに答えを見つけられるかどうかで、日々の思考と行動が変わるはずだ。

僕は今年をラストイヤーにしたが、自分の使命が果たせないなら明日にでも辞める覚悟はできている。だから、その瞬間、瞬間が何よりも大事なんだ。内田選手のようにサッカー選手として高いクオリティーで何かをできることはない。サッカー選手として失格かも知れない。しかし、そもそもそこで勝負したわけではなく、生きざまそのもので勝負を挑んだ結果の今だ。

僕の練習態度や言動が「エール」にならなければ今すぐ辞める。日々、疲労はマックスを超える。20代の選手とのコンタクトプレーは容易ではない。それでも僕が戦い続けられるのはそこに使命感があるからだ。内田選手の現役引退にあたっての圧倒的な言葉の強さに僕は救われた。これは解釈の問題なので、内田選手の意図することとは違うかもしれない。しかし、大事なのは、その言葉の真意ではなく、その言葉を自分ごととして捉え、どう解釈するかだと思っている。

皆さんは、目の前の練習(業務)を作業化してしまうことはないだろうか。時間に身を任せ、流れるようにこなし、「なんとなく」にはなってないだろうか。物事はその業界のトップの人の頑張りだけでは発展していかない。今、僕が戦っているのはJ3というリーグではあるが、僕らがJ1の選手以上に使命感を持って挑まなければ、サッカー界は発展しない。子どもに夢を与えるJリーガーならば、その生き方も夢のひとつでなければならない。

なんとなくをやめよう。目の前の作業に忙殺されて思考を止めるのをやめよう。時間より少し先へ行く。そのチケットは使命感が手に入れてくれる。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、グレミオ・マリンガとプロ契約も、けがで帰国。03年に引退も、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年に旧知のシュタルフ監督率いるYS横浜に移籍。開幕戦のガイナーレ鳥取戦で途中出場し、ジーコの持っていたJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を上回る41歳1カ月9日でデビュー。175センチ、74キロ。

0円Jリーガーとして奮闘するYS横浜のFW安彦(左から5人目)
0円Jリーガーとして奮闘するYS横浜のFW安彦(左から5人目)