ビーチサッカーのワールドカップ(W杯)パラグアイ大会で過去最高成績に並ぶ4位に入った日本代表が4日、成田空港へ帰国した。

ラモス瑠偉監督(62)が18年2月に就任してから1年9カ月で好成績を残し、2年に1度の同大会で次のロシア大会では決勝進出への期待も高まった。

到着ロビーに現れたラモス監督は、変わらず快活に笑っていた。招待されて参加した第1回大会に並ぶ4位。「今回は予選を勝ち抜いて、アジア王者として参加した」とその意義に胸を張りつつ「選手には満足も納得もない。次ですよね。環境をどうするか、どうモチベーションを保つか」と先を見つめた。空港でチームを迎えた日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「情熱を感じて(監督を)頼んだ。よくやってきれた」と感謝した。

ラモス監督は、初めて監督就任の打診を受けた際は「やるつもりはまったくなかった」と明かした。ただ、今回大会MVPを獲得した茂怜羅オズら選手の望みもあり、引き受ける決断をした。16年12月には脳梗塞で倒れていた。「監督として日の丸を背負った時点で、命をかけた。(日本代表の監督として)死んだら死んだで、どれほど幸せかと」。冷めることのないサッカーへの情熱を、ふたたび日の丸にそそぐと決めた。

就任してすぐ、選手に聞いた。「俺のやりかたでやる、それでもいいか」。新しい歴史をつくのは簡単ではない。ときには厳しい態度や言葉もあるかもしれない。それでもついてきてくれるかという意思確認だった。「チームを勝たせるためには、なんでもやらなくちゃいけない。日の丸を背負っているのだから」。3年前に脳梗塞を経験した人間が、チャンピオンになろうとしている。まさに「死ぬ気」と決めた覚悟が、一人歩きするほど不幸なことはない。選手の厚い支持を得て、W杯への道は始まっていた。

今年に入り、「2回ほど、『監督を変えたほうがいいのではないか』と思ったこともあった」という。決して代表への期待が高いとは言えない中、選手がモチベーションを保つのは容易ではなかった。「選手がもっと伸び伸びとやれるように」と身を引くことも頭をよぎったが、自分を信じると決めて集まる選手を裏切ることはできなかった。

迎えた本大会。初戦で開催国パラグアイを破り、一気に波に乗って4連勝。3位決定戦では強豪ポルトガルにPKの末に敗れたが、上位4カ国のうち唯一プロリーグがない中で殊勲といえる成績を残した。味わってきた喜怒哀楽のすべてが報われた1つの瞬間だった。「みんな仕事を休んで、家族を犠牲にしている。一緒にやってきたみんなを誇りに思う」。ラモス監督は言葉に力を込めた。

現役時代に味わった、ドーハの悲劇。今回の3位決定戦での敗戦も、あのときのように糧になってほしいと願う。「我々がドーハで負けたときに、中田(英寿)たちが『ここまできたらいけるのでは』と思ったように。今回もそう」。2年後、次はロシアを舞台にして、ふたたびW杯がやってくる。今大会を経験した選手も「5、6人は残れると思う」と指揮官。そこでベスト4の壁を破ったとき、この敗戦は初めて意味を持つだろう。

たしかに未来へバトンをつなぐ成果を手にした日本代表。ラモス監督は「私は純粋な日本人ではないけど、帰化したことを誇りに思う」と話した。