J1王者で開催国代表の鹿島が、世界のトップ・オブ・トップスと死闘を演じた。アジア勢で初めて進んだクラブW杯決勝。欧州代表Rマドリード(スペイン)相手にMF柴崎岳(24)が2得点を奪うなど、一時勝ち越すサプライズ。2-2で突入した延長戦で2失点して力尽きて準優勝だったものの、公式戦36戦無敗だった「白い巨人」を最後まで驚かせた。準優勝の鹿島は賞金400万ドル(約4億6000万円)を獲得した。

 これはテレビゲームではない。現実世界で、公式戦で、鹿島があのRマドリードと対等に渡り合った。ロナルド、ベンゼマら世界的スターが予想外の展開に首をかしげる中、鹿島イレブンの目は輝きを増す。2-2の延長前半に、ロナルドにハットトリックされ力尽きたが「差はあったけど通用した部分もある」とMF柴崎。終盤、鹿島側コーチングエリアまで踏み込むほど本気にさせたジダン監督から「果敢に走り回り、よく戦った」と称賛された。クラブW杯史上最多の6万8742人、そして生中継された全世界を驚かせた。

 銀河系軍団に真っ向勝負で追いついた。前半44分、柴崎が左からのパスをトラップ。ボールの落下点に左足を合わせて右のネットを揺らした。しかし、まだ同点。「感情はあらわにできない」。本当に終わらなかった。1-1の後半7分、再び柴崎の左足が輝く。エリア前でパスを受けると、左に流れながら左足を振った。ゴール左に糸を引いた一撃は、14年W杯で神セーブを連発したGKナバスでも届かない。「ボールのゆくえは見えなかったけど、歓声で入ったかなと」。Rマドリード相手に勝ち越した。ベルリンの奇跡、マイアミの奇跡。歴史的な番狂わせに匹敵する予感が漂うと、会場の海外ファンも鹿島の応援歌を歌い始めた。

 クラブ創設25周年。ジーコが初代の背番号10を受け継いだ柴崎が、金星の可能性を膨らませた。夢の始まりは18歳。10年W杯を南アフリカで観戦した時、関係者席の隣のブースにジダンが座っていた。驚きながらも「いつか、こういう選手たちと世界で戦いたい」。思いが初めて具体的になった日。その6年後、ジダン監督に「何人かスペインでプレーできる選手がいる」と言わしめた。明言しなかったが、その1人が2得点の柴崎なのは間違いない。

 ブロンズボール賞を受けた表彰式ではロナルドに尻をポンポンとたたかれ、認められた。現在はエルチェやヘタフェ、Rバリェカノなどスペイン2部のクラブから興味を示されている段階だが、今後のビッグオファーも期待される。チームとしても「カシマの素晴らしいプランにダメージを与えられた。祝福すべきチームだ」(セルヒオラモス)「リスペクトにふさわしい」(ナバス)と賛辞を贈られ、サプライズな準優勝ととして世界に打電された。

 1回戦から11日間で4試合目。延長で散ったが、90分間なら引き分けていた。公式戦36試合連続不敗を誇るメガクラブを追い詰めた柴崎は「2位も最下位も一緒。歴史には優勝したレアルの名前だけが残る。そこに自分たちの名前を刻みたかった」と悔しがったが、この日の観客数より少ない6万7800人の街「KASHIMA」の名は、見せた夢は、記憶に刻まれる。日本男子にとっても、通算3度目のFIFA公式大会決勝で、得点し、リードしたのは初めて。日本サッカー史上、最も世界一に近づいた夜だった。【木下淳】

 ▼クラブW杯決勝で2発 鹿島MF柴崎がRマドリードとの決勝で2得点。相手のFWロナルドがクラブW杯史上初めて決勝でハットトリックを達成したが、決勝での2発も珍しく、過去に07年ACミランFWインザギ、11年バルセロナFWメッシ、15年バルセロナFWスアレスという世界的なストライカー3人のみ。