神戸監督やっと定着 フィンク「男の会話」で救世主

  • 神戸対鹿島 優勝し胴上げされる神戸三木谷オーナー(撮影・河野匠)

<天皇杯:神戸2-0鹿島>◇決勝◇1日◇東京・国立競技場

ドイツ人指揮官のトルステン・フィンク監督(52)がヴィッセル神戸の救世主になった。19年の前半戦は下位に低迷し、スペイン人のリージョ監督、吉田監督が次々に退任し、6月に招聘(しょうへい)されたのが、フィンク監督だった。

就任後は10勝3分け7敗でJ1残留を成し遂げ、8位でフィニッシュ。17年以降はネルシーニョ、吉田、林、リージョ、吉田各監督に続くのべ6人目の監督だった。

「優勝できるメンバーだと信じていた。神戸での当初の使命は負けないこと、J1残留を果たすこと。敗北に対する恐怖との戦いだった。大きく得るものがない勝負だった。だから天皇杯は大きな成功を収めるチャンス。それだけの選手がそろい、時が来たと思っていた。イニエスタはすごい選手ではあるが、例えば郷家(青森山田卒2年目MF)が入っても機能するチームへと変わってくれた。違う文化や言語を持つ選手が集まるチームだけに、一体感を大切にしてきた」

現役時代の01年5月には欧州CL決勝でバレンシア(スペイン)を下し、母国のBミュンヘンを25年ぶりの欧州王者へと導いた。「大舞台は精神の強さが大切。うまいサッカーだから勝つのではない。1つのミスで決まってしまう勝負だから、いかに集中できるか」と学んだ。当時は守護神カーンがスターだったが、中盤の底で堅守を支えたのがフィンク監督だった。

同年11月のトヨタ杯で来日し、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)を破った。ヒッツフェルト監督から「君は監督のような考えを持っている」と言われて指導者に興味を持った。バーゼル(スイス)やハンブルガーSV(ドイツ)など約13年の監督生活を経て、神戸にやってきた。

神戸では自らの理論を押しつけはせず、戦う集団にまとめることを優先した。19年夏は自ら主催のパーティーを開き、意思疎通を図った。「誰も帰ろうとはしなかった。家族や彼女もいない、男だけの会なのに」と驚いた。徹底した対話路線で「選手には正直に長所短所を言ってあげることが大切。選手を尊重し、彼らに我々を信じようと思わせることも大切だ」。

就任当初は19年だけで2度目の監督交代だったため、攻撃や守備の最低限の約束事を注入。「何カ月かにわたって今の選手に合ったシステムにたどりついた」。3-5-2を基本線に、パズルを1つずつ埋めていき、攻守一体のサッカーでJ1終盤戦は6勝3敗で乗り切った。守備に課題はあるが、優勝した横浜F・マリノスの総得点68に次ぐ61ゴールを重ねた。11月30日鹿島アントラーズ戦はイニエスタ、ビジャ不在で3-1の快勝を飾った。

好きな言葉は「努力しないと運は来ない」「今やっていることが目標」など。結婚26年目の夫人と長男(14)と次男(13)をドイツに残して単身赴任中。この決勝は日本に家族を呼び寄せ、偉大な勝利を贈った。神戸の繁華街三宮でカフェに入り、人の動きを観察するのが趣味。わずか7カ月の生活で箸(はし)も器用に使いこなせるようになった。1年半契約の最終年、20年シーズンはフィンク神戸がさらなる進化を遂げていく。

 

◆トルステン・フィンク 1967年10月29日、ドイツ生まれ。現役時代はMFとしてBミュンヘン(ドイツ)でリーグ戦4度優勝、欧州CLも制した。06年に引退。ザルツブルク(オーストリア)でコーチ、バーゼル(スイス)では監督に就任、11年にはハンブルガーSV(ドイツ)やオーストリアで監督を務め、19年6月神戸へ。好きな言葉は「努力なしに運は来ない」。181センチ。夫人と2男。