ガンバ大阪は5日、フランス1部トゥールーズから完全移籍した、元日本代表DF昌子源(27)の加入会見を開いた。

本拠地パナスタ(大阪・吹田市)で会見した昌子は、山内隆司社長(62)とともに登場。2年ぶりのJリーグ復帰への意気込みなどを語った。会見後は背番号3のユニホーム姿も披露した。

冒頭で山内社長は「今回完全移籍して中学(G大阪ジュニアユース)以来、戻ってきてくれることになりました。お帰りなさい。G大阪のタイトル獲得に貢献し、同期だった宇佐美選手と活躍してほしい」と紹介した。

昌子は「ガンバ大阪に帰ってくることになりました。中学時代にお世話になり、違うチーム(鹿島アントラーズ)でライバルとして戦い、ガンバに戻ってくることになり感謝しています。チームの目標である優勝へ、自分が引っ張っていけるように頑張りたい」とあいさつした。

以後は一問一答。

-今の気持ちは

昌子 わくわくしている。何人かの選手は代表でやったり、(ジュニアユース時代は同じFWだった)宇佐美選手には逆立ちしても勝てない選手とやっていた。うれしく感じている。顔見知りも多い。しっかり恩返しできるように強い気持ちでやってきた。

-G大阪へ決めた理由

昌子 僕の足首のけがが原因でした。何人かの偉大な先輩に相談したが、最終的には自分で決めた。これからの活躍で自分自身もよかったと思えるようにやりたい。リハビリをしっかりやっていけるようにしたい。僕も鹿島に恩義を感じているが、タイミングもあってガンバが獲得に興味を示してくれた。1年間フランスに行って、半年はけがで苦しい時期もあったが、(公式戦)20試合連続で使ってもらい、試合以外でも人間としていろんな経験ができた。1年は早いと言われるが、遅いか早いか決めるのは自分だし、成功か失敗も自分が決める。1年で得たものは大きかったし、具体的には難しいが、ガンバに還元できれば。

昌子は18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会代表のセンターバックで、8年所属した鹿島から19年1月にトゥールーズへ移籍。18-19年は18試合に出場したが、今季(19-20年)はわずか1試合の出場にとどまっていた。右足首を負傷するなど不運もあった。神戸市生まれでG大阪ジュニアユース出身。

◆昌子源(しょうじ・げん)1992年(平4)12月11日、神戸市生まれ。G大阪ジュニアユース、米子北高、鹿島を経て19年1月にトゥールーズ移籍。18年W杯ロシア大会代表(日本代表18試合1得点)。16、17年Jリーグベストイレブン。182センチ、76キロ。