フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で、羽生結弦が最初の4回転ジャンプに失敗した。偉大なる男のすごみを見たのはその直後。彼はまったく動揺することなく、いっさい集中を切らさなかった。連続ジャンプも美しく、完璧に決めてみせた。

ジャンプの失敗は自分のミスではない。他の選手がジャンプした時についたリンクの穴にエッジがはまった。つまり、運が悪かった。3連覇という大きな夢に挑む最初の1歩でつまずいたのだ。失意と、怒りは、常人には想像もできないが、彼はわずかな乱れも見せなかった。ここまでどんな歳月を積み重ねてきたか分かるような気がした。

五輪には魔物がいると言われる。時に「そんなばかな」ということが起きる。人間の本当の強さや弱さは、そんな窮地に立ったときに露呈される。そういえばジャンプ混合団体で、1回目のジャンプ直後にスーツ規則違反で失格した高梨沙羅も、失意に泣き崩れながら2回目にK点越えの大ジャンプを決めた。築いてきた心の土台が違うのだと思った。

演技を終えた羽生は泣き言をいっさい口にせず、インタビューに「氷に嫌われちゃったなって」と苦笑いを見せた。このウイットに富んだコメントは、なかなかあの場面では出てこない。92年バルセロナ五輪の男子マラソンで、給水ポイントで後続に足を踏まれてシューズが脱げるアクシデントに見舞われた金メダル候補の谷口浩美が、8位でゴールした直後に「こけちゃいました」と笑って話したシーンを思い出した。

SPは8位と出遅れたが、10日にはフリーがある。「明後日(10日)も自由にスケートができるよう願っています。君は羽生結弦なのだから」とつづられた06年トリノ五輪金メダリストのプルシェンコ(ロシア)のSNSに、大いに共感した。羽生も「まだ時間はある」とファイティングポーズを崩すことなく、前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑む。ドラマの結末は誰にも分からない。分かっているのは、何が起きても羽生結弦は、最後まで夢に挑み続けるということだけだ。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)