女子シングルス決勝でリオデジャネイロ五輪銅メダルの奥原希望(22=日本ユニシス)が、決勝で1時間50分の死闘を制し、日本勢40年ぶり2個目の金メダルを獲得した。

 バドミントンの日本代表が奥原の金メダルを含め、五輪、世界選手権を通じて史上最多の4個のメダルを獲得した。80年代から00年代前半まではメダルゼロと低迷した。10年代からの飛躍には、日本協会の抜本的な取り組みなど、大きく4つの理由がある。

 (1)ジュニア強化

 日本協会は01年、小学1年からの全国小学生ABC大会を開始。それまで小4からだった全国大会出場の枠を広げた。優秀な選手を呼んで合宿を開催。奥原、高橋、松友組も参加した。

 (2)好環境

 全種目で1勝のみという惨敗に終わった04年アテネ五輪の直後、92年バルセロナ五輪男子ダブルス金メダルの朴柱奉氏(韓国)を日本代表ヘッドコーチに招いた。チーム単位だった強化を代表に一本化。試合を含めて年間の強化期間は200日以上。08年にナショナルトレーニングセンターが完成、常時10コートを使って練習ができている。

 (3)サポートの充実

 08年から協会に医科学サポートグループが発足。海外遠征にスタッフが同行し、選手の映像を収集。現場と連携し対戦相手の傾向と対策を探った。昨年の五輪から味の素のスタッフが同行し食事面の充実も図る。

 (4)オグシオ効果

 04年あたりから、女子ダブルスの小椋、潮田の「オグシオ」ペアの人気が上昇し、競技の認知度が広がった。競技人口は90年代の10万人前後から20万人を超え、現在は約28万人。裾野が広がり、優秀な人材も集まるようになった。【田口潤】