【西武ドラ5山田陽翔/後】甲子園を沸かせた本格派は、地に足がついた超現実派だった

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」。西武のドラフト5位、高卒ルーキー・山田陽翔投手(18=近江)へのインタビュー後編です。今はピッチングの骨格となる威力ある真っすぐと、その真っすぐをより生かすための変化球の精度を上げていく作業に入ろうとしている段階です。

プロ野球

◆山田陽翔(やまだ・はると)2004年(平16)5月9日、滋賀県栗東市出身。栗東市立治田西小学校1年から野球をはじめ、栗東西中学では大津瀬田ボーイズでプレー。近江では1年夏からベンチ入り。2年夏は主戦として準決勝進出に貢献。2年秋に主将。右肘を痛めるも、3年春のセンバツでは1回戦から準決勝まで4試合連続完投勝利。決勝で大阪桐蔭に大敗し準優勝。3年夏も4勝して準決勝進出の原動力となった。甲子園通算11勝は松坂大輔、島袋洋奨と並ぶ歴代5位タイ。115奪三振は歴代3位。22年のドラフト5位で西武に入団。右投げ右打ち。175センチ、82キロ。今季推定年俸700万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「幅を出すようにしています」

田村氏キャンプの話に戻りますけど、実戦の練習はやってましたか?

山田はい、1度試合で投げさせてもらっています。

田村氏それはどんな相手に?

山田相手は社会人のチームでした。

田村氏その試合も3者三振だったんでしょ?(インタビューした3月8日は東北学院大との練習試合で、9回表の1イニングを投げ3者三振だった)

山田はい。

田村氏内容は?

山田真っすぐの見逃しが2つと、真っすぐの空振りが1つです。

田村氏あっ、そうですか。

山田はい

田村氏今日の練習試合(対東北学院大)は、真っすぐが146キロで、三振はスプリットで2つと、あとは真っすぐですね。

山田はい。

田村氏特には球種は増えていませんね。甲子園で見ていた時は、右打者にはスライダーが中心かな? それで浅めに投げるボールをカウント球にして、あとはツーシームかな?

山田はい、ツーシームです。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。