スペインサッカー伝統の一戦クラシコ。そのチケットは現地に住む方々でも入手することが難しく、世界屈指のチケット入手困難な試合の1つに数えられています。そのクラシコのチケットがついに売れ残りました。当然コロナの影響は大きく、世界的に渡航が困難であるがゆえに起こったことと捉えていいことです。しかし、サッカーファンはそうではないことは十分に理解しているはず。メッシが退団し、クラブは1730億円という天文学的な借金を背負っていることを発表するなど、もはや何が起こっているのかわからないような状況に陥っているバルセロナ。今回はそのバルセロナを覗いてみたいと思います。

「バルセロナはフットボールクラブ以上の“何か”である。それは日曜日にプレーを観に行く場所であり、単なる娯楽以上の施設である。すなわち、全てのもの以上の存在であり、それは我々の心の中に深く根ざしている精神、カラーである」この言葉を知っている人はバルセロナのファンをのぞいては少なくなってきたのではないでしょうか。

その昔バルセロナのユニホームには胸スポンサーが入っておらず、それが自慢のネタの1つだったことはもう忘れ去られているように感じます。このフレーズは1968年の1月17日、第32代FCバルセロナの会長に就任したナルシス・デ・カレーラスの就任演説の一部で、現在のチーム・スローガン『mes que un club(クラブ以上の存在)』が生まれたきっかけになったとも言われています。2006年9月以前、創設から約107年もの間、バルセロナのユニホームにはスポンサーロゴは一切入っていなく、いくつかのきっかけがあってバルサが100年以上も守ってきた「ユニホームに企業名を入れない誇り」を変えざるを得なかったわけなのですが、ふとここで思うことがあります。それまでは収入をどのようにクラブは手にしていたのか? ということ。

そもそも各クラブの収益はシンプルで、会員による会費とシーズンチケット及び一般販売のチケットの売り上げのみでした。それがテレビ放送網の発達により、公共放送による試合の独占放送が行われるようになり、その後民間のテレビ局が台頭し始め、テレビ放映権料が膨れ上がります。これ以降、テレビ放映権料がクラブの収入の大半を占めるようになったわけですが、追い打ちをかけるように1995年ボスマン判決により選手のEU圏内での移籍が安易に行われるようになるとテレビ放映権料で得た潤沢な資金を基に世界的なスター選手を獲得するクラブが増加。選手の年棒も高騰し、結果としてこれがクラブの経営を圧迫し、赤字体質が蔓延していくきっかけとなりました。

バルセロナの財務諸表をさかのぼってみると、2009-10シーズンの決算報告では負債が4億3100万ユーロ(約565億円)とありました。このタイミングぐらいからビッグクラブはオフシーズンに国外ツアーをスタートさせました。グローバルに考え始め、同時にインターネットによるマーケティングが発達し、収入も増加(レアル・マドリードがマイクロソフトと契約したのが2014年)。バルセロナはグローバル化に伴いチームの理念をより多くの人に認識してもらう必要があると考え、わかりやすい視覚的効果を狙ってユニホームのスペースを利用しようと試みました。2006年にバルサ側がユニセフに年間150万ユーロ(約2億円)を寄付するという形でバルサのユニホームの胸に「Unicef(ユニセフ)」の文字が入ることになりました。

一方で当時のバルサのご意見番でもあった伝説ヨハン・クライフを中心に反対派も多く、お金がないのであればユニセフにお金を払う事を辞めることから始めるべきだとも発言がでるなどクラブ内でも賛否両論が巻き起こりました。

2011年からはカタール財団と契約するに至りました。この契約により、バルサは5年半の契約で最高1億7100万ユーロ(当時のレートで約192億円)の収入を得ることとなり、2011-12シーズンの決算報告では、クラブ史上最高額の4億9490万ユーロ(約554億円)の収入を記録するだけでなく、一時的に4億ユーロ*約565億円)にまで膨らんでいた負債を僅か2シーズンで3億3500万ユーロ(約375億円)にまで削減したと記録されています。(円表示は全て当時のレート)。

しかし近年のコロナ禍でのダメージは大きすぎました。

時代の流れとともにサッカービジネスが膨らんだ背景はあります。しかしコスト過多の状態と上手くお付き合いしてこなかったつけが、借金に反映されているとすれば、バルセロナの借金体質は今に始まったわけではなく、ずっと負債を抱えた状態ともいえるのかもしれません。世界中にファンがいるバルセロナ。この状況をどう打開していくのでしょうか。

【酒井浩之】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「フットボール金融論」)