晩秋の冷たく乾いた風が、芝生の香りを鼻腔(びくう)へと運んでくる。スタンドからはサッカー部員たちの大きな歌声が美しくも響く。ゴール裏でカメラを構えていると、選手の息遣いが聞こえてきた。

ゴール前で競り合う日大藤沢(白)と橘(えんじ)の選手たち
ゴール前で競り合う日大藤沢(白)と橘(えんじ)の選手たち

■神奈川県大会4強決まる

またこのシーズンがやってきた。新年の風物詩、高校サッカー全国選手権をかけた地区予選が佳境を迎えている。11月9日、全国有数の激戦区、神奈川は準々決勝3試合が行われた。

ベスト8と言っても夏のインターハイで全国を制し、U-17ワールドカップ(W杯、10月26日~11月17日)ブラジル大会への参加でエースFW西川潤(3年)を欠く桐光学園は準決勝からの登場。変則的に6チームが4強入りをかけて戦った。相模原ギオンスタジアムで行われた2試合は、どちらも1点を争う好勝負となった。

湘南工科大付-桐蔭学園は攻守の切り替えが速い両チームが持ち味を発揮。湘南工科大付の7番MF川名連介(3年)のスピードを生かした縦への突破、桐蔭学園の10番FW白輪地敬大(3年)のスナイパーのような鋭いシュートが目についた。試合は1-1で延長戦を終え、PK戦(4-3)の末に桐蔭学園が勝ち上がった。

続く日大藤沢-橘は前半17分に26番MF浅野葵(3年)が先取点。選手層の厚いチームにあって大きな背番号をつけた3年生が先発起用に応え、値千金のゴールを奪ってみせた。1トップの9番FW平田直輝(3年)はラグビー選手のような大きく厚みのある体が特徴的。パワフルなプレーの一方で丁寧なボールキープが印象に残った。結果的に日大藤沢が前半の1点を守り抜き、準決勝へと駒を進めた。これで今月23日の準決勝(相模原ギオンスタジアム)は桐光学園―平塚学園、日大藤沢―桐蔭学園となった。

見応え十分の2試合だった。連動しながら素早くパスをつなぎ、相手のプレッシングをはがし、オープンスペースへとボールを滑らせてはゴールへと迫る。どのチームも正確な技術をベースにした意図あるプレーが目を引いた。観戦していた有力校の監督がこう話してくれた。

「私が神奈川にやってきた10年前は、どこも(前へ)ロングボールを蹴っていた。これで全国で勝てるの? って思ったけど、今は違う。どこもしっかりパスをつないで攻撃を組み立てる。ジュニアユース(中学生)世代から人工芝でプレーしているから、ボールを正確につなぐサッカーができる。レベルは年々上がっていますよ」

公立校の(川崎市立)橘にいたっては、私学のような人工芝グラウンドではなく、決して広くない土のグラウンドという環境だ。だが神奈川県選抜などの指導で多くの実績を残す山本義弘監督が5年前に赴任してから着実に力をつけ、今や県トップレベルに位置する実力校へと成長した。あらためて指導者の力というものを感じずにはいられない。

■見なくなった叱責する声

そんな高校サッカーを見ていて、「変わったな」と思う光景がある。それはベンチの指導者が選手を叱咤(しった)する場面をあまり見なくなったことだ。この日もピッチに飛ぶ声はどれも戦術上のコーチングであり、叱責(しっせき)するものはまったく聞こえてこなかった。

かつて当たり前だった「何やってんだ」「やる気あるのか、このヤロー」的な叱責。経験則から言えば、試合中にピッチサイドからこんな罵声を浴びせられたところで、かえって気持ちをかき乱されプレーへの集中力がそがれるだけ。当事者からすればカツを入れているつもりだろうが、悪循環である。スポーツの現場でも威圧的な指導に厳しい目が向けられる昨今、そんな光景は確実に減った。日本サッカーのレベルが上がっている裏には、今更ながら指導者の向上があってこそのことだと思う。

そんなことを頭に浮かべていたところ、試合後に聞いた日大藤沢の佐藤輝勝監督の言葉にはうなずかされた。集中力を切らすことなくタフな試合を勝ち切った選手をたたえた上で、こう話した。

「選手たちは自分たちで判断して戦っている。(ピッチの)中で起こった問題は、中で解決する。外(スタッフ)はサポートすることしかできないですから」

よく聞けば、日頃から3年生を中心に選手たちだけでミーティングを繰り返し、監督やコーチ陣に対して積極的に提案してくるのだという。佐藤監督は「選手から何を言われるのかドキッとします」と笑うが、「主将の青木(駿人=3年、DF)を中心に選手ミーティングでは本音で言い合う。スタッフは方向性に間違いはないか、選手の声を聞いてブラッシュアップしていく」のだという。

選手が主体となって取り組む「ボトムアップ理論」というのは以前からある。10年ほど前、広島観音高を全国選手権で取材した際、当時の畑喜美夫監督が提唱する指導法に驚かされた。選手たちが自ら練習メニューを考え、試合のメンバーまで決めていた。監督らスタッフはそれを見守り、助言するまで。従来にはなかった「自主自立を促し競技力の向上につなげる」というやり方は、まさに革新的だった。

それがスポーツ現場でも広く認知されるようになり、近年は選手が主体となって考えるボトムアップ式は着実に根付いている。指導陣がどこまで干渉するのか、チームによってそのさじ加減は違うだろうが、今回の日大藤沢にように選手が自ら考え、スタッフが支えていくやり方には共感を覚える。主体的に物事に取り組むことは、選手にとっても将来への大きな糧になるはずだ。

桐蔭学園FW佐々木の突破を食い止める湘南工科大付DF深見
桐蔭学園FW佐々木の突破を食い止める湘南工科大付DF深見

■ピッチの問題は選手が解決

「スポーツは学校教育の一環」とよく言われる。そもそも日本におけるスポーツの源流は、明治時代の富国強兵政策の「体育」に始まる。徴兵制があった明治時代は上官への絶対服従が求められ、兵士が自らの考えをもとに動くことは禁じられた。そんな流れをくむ日本社会において、スポーツにおける指導者は絶対的な立場であり、日本のスポーツとは上意下達(じょういかたつ)が当たり前。強い主従関係の中で規律や集団行動を学ぶ場所だったように思う。そういう意味では、指導者が主役だった。

だが時代は変わり、社会から求められる資質も大きく異なっている。かつての指示待ちでは、さまざまな価値観や情報があふれる混沌(こんとん)とした時代には付いていけない。何か問題があれば、自ら考えて解決に動く。スポーツを通じて規律や集団行動を学ぶことと同時に、自らの考えで動ける人間へ「対応力」「決断力」が求められる。

ピッチの中で起きた問題は、ピッチの中で解決する-。

主役は選手である。指導者はあくまで演出家であり、選手がピッチで躍動できるよう、その輝きを引き出すまでのことだろう。令和という新時代を迎え、来年には東京オリンピックも迎える。スポーツを取り巻く環境が大きく変わろうとしている今だからこそ、余計にそう思う。

そう言えば…、スポーツメディアがよく使う名監督を表現する際の「名将」。もともと戦時下、多大な功績を立てた軍事指揮官を指す言葉であった。スポーツを扱う我々の頭の中も、時代の変化とともにしっかりブラッシュアップする時期にあるようだ。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)