日本フットボールリーグ(JFL)への昇格を懸けた全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)が今年も行われ、全国津々浦々の「おらが町」のクラブが集った。
■ホームタウンは吉野川市
東京・味の素フィールド西が丘で開催された4チームによる決勝ラウンド(11月24、26、28日)。澄み切った青空の下、その3日間を堪能した。優勝したCriacao Shinjuku(クリアソン新宿、東京)、準優勝のFC.ISE-SHIMA(三重)、3位のおこしやす京都AC、4位のFC徳島。どのチームにも個性があり、それぞれに魅力があった。この上位2チームが、JFLの下位2チームとの入れ替え戦に進むことになった。
中でも注目したのはFC徳島だった。ホームタウンは吉野川市。筆者が少年時代を過ごした故郷である。選手たちがピッチを走る姿を見つめながら、「四国三郎」と呼ばれる吉野川の雄大な流れなど風光明媚(めいび)な景色が脳裏に浮かんだ。
そのクラブの歴史はまだ浅い。Jリーグに徳島ヴォルティスがいることもあり、2番手としての立ち位置からアマ最高峰のJFL入りを目標に掲げ、2016年創設。県リーグ所属の既存チームをリニューアルする形で、FC徳島セレステ(セレステとは「青空」の意味)として活動を開始した。18年にFC徳島に改称。近年は天皇杯や全国地域CLの常連になるなど、強化を図っている。
徳島市を拠点に活動していたが、今年になって練習環境が整う吉野川市から誘致された。3月下旬、クラブの運営法人のFC徳島スポーツクラブが同市と連携協定を結び、ホームタウンを移転する運びとなった。
■決勝ラウンド3敗も大健闘
1次ラウンドを2勝1分けで勝ち抜き、初めて挑んだ決勝ラウンド。結果は3戦全敗に終わった。だが、どの試合も1点を争う好ゲーム。2敗し、次への進出が消滅した中で迎えた最終のクリアソン新宿戦、前半に先制点を奪い、元Jリーガーがそろう強豪チームを慌てさせた。後半に逆転されて1-2の敗戦。それでも来季へ期待を抱かせる内容だった。1次ラウンドからの過密な日程であり、将来のJリーグ入りを狙う多くの有力チームがいる中、決勝ラウンドへ進出したことは大健闘でしかない。
そのサッカースタイルも、最終ラインからしっかりパスをつなぎ、中盤を使って両ワイドを使って崩していくというポゼッション型。得点力あるストライカーがいれば、また違った結果となっていたと思う。実際に戦い終えた選手たちの表情には、やり切ったという充実感がにじんでいた。
■1月から全選手が引っ越し
おらが町のクラブ-。そんな誇らしい気持ちになった。ただ、出身者だからこそ言えるが、徳島は全国的に見てもヒト、モノといった資源に乏しい。少子高齢化が進む中、若者は県外へと流出する傾向は強い。県全体の人口は減少の一途をたどり、2000年に約83万人いたものが現在は約72万人。先細る現実がある中、スポーツクラブがもたらす地域への意義は大きい。実際のところ、チームはどういう思いを持って戦っているのだろうか。
ボランチとしてテンポのいいパスワークを演出したMF須ノ又諭選手に話を聞いた。兵庫県出身の32歳。大阪・桃山学院大卒業後、アミティエSC(現在のおこしやす京都AC)を経てJFLのFC大阪で7シーズンを過ごし、今季からFC徳島へ移籍してきた。
「僕も大阪から来たので(徳島という場所に)おーっというのは正直ありましたけど。ただ応援してくれた人たちや、地元のあいさつ回りとかした時に、今まで知らなかった部分を見れて、いい町やなと思いました。(最終日の)今日も吉野川市から応援に来てくれていましたし、いろんな協力や支援金があって、ここまで来ることができました」
ホームタウンの完全移転は来季からで、今季の活動は徳島市で行っていた。仕事を終えた夜間、フットサルコートでの活動がメインだったという。それが年明けの1月からは吉野川市にある人工芝のサッカー場で午前中、日常的に行えることになった。新シーズンに向けて選手全員が練習場近くに引っ越す予定で、須ノ又選手も妻子を連れて吉野川市民となる。
■地域貢献がクラブの理念
「吉野川市ホームタウン移転推進協議会担当」として、活動基盤を整えるために奔走しているのがクラブの代表代行を務める武田聡さんだ。生命保険会社の社員の傍ら、選手の雇用先の調整やクラブ運営のスポンサー探しなど、多岐にわたる仕事をこなす。これらすべて手弁当で行っている。
武田さんが言う。「吉野川市さんからご招致を受けて、サッカーのところだけじゃなくて、地域に密着して、地域を元気にするということでお声がけいただいた。立派なグラウンドも与えていただいてますし、選手にはサッカープラス、仕事でも頑張ってもらおうと思っています。地域に貢献するということが、我々クラブの理念です」。
既に四国を代表する社会人チームとなっているが、サッカーをする環境がより整うことで、より選手の補強が進むことになる。そして全国地域CLの決勝ラウンドを戦ったことで、JFL昇格に向けて何が必要か課題も明確になった。
「他のクラブに比べて資金力、運営面、選手層も含めて足らないところが見えた大会になりました。新年明けて新チームが始動するので、そこへ向けてしっかりした形でやっていかなければいけない」(武田さん)。活動を拡充させるため、選手だけでなく、クラブスタッフの人員を増やすことも必要になってくる。
■ヒトの流れを生むキッカケ
スポーツは日本社会を豊かにする上で、有効な手だてとなる。若者の流出が止まらず高齢化が進む地方にとっては、スポーツクラブはヒトを引きつけるシンボルともなり、そのエネルギーを生かして地域を元気にすることにつながる。そしてもう1つ、故郷を離れた若者の目が再び地元に向き、Uターンだけでなく、Iターンといったヒトの流れを生むキッカケにもなってくる。実際、徳島出身の有望なサッカー少年は高校世代から県外のJクラブや強豪校へ進むケースも多いのだという。「Jリーガーになっても、徳島で(サッカー人生の)最後にサッカーの真剣勝負という場をつくっておきたい」(武田さん)。クラブには、未来を見つめたさまざまな思いが詰まっている。
私自身、徳島を離れ、長い歳月がたつ。気がつけば人生の折り返し地点をとうに過ぎ、過去を振り返る時間も多くなった。近年はコロナ禍もあり、故郷へ足を運ぶことがなくなった分、昔の思い出はより色濃くなる。何かの歌詞ではないが、思えば遠くへ来たものだ、である。
ふるさとは遠きにありて思ふもの-。サッカーを通し、深い感慨に浸った。
【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)