新年元日の祝賀ムードを暗転させた石川県能登地方を震源とする大地震。一夜明けた被災地の映像を見て愕然(がくぜん)とした。
火災で焦土と化した輪島市の市街地が映っていた。かつて取材で訪れたこともある場所とあって言葉を失った。まだ余震が続いている。風雪による寒さ厳しい折、被災された方々のことを思うと胸が苦しくなる。今は一日でも早く平穏な生活が訪れることをただ、祈るしかない。そして支援の輪が広がることを願う。
■東日本大震災直後の為末さんの言葉
ある思い出が脳裏によみがえった。2011年4月16日、現役の陸上選手だった為末大さんの取材で輪島にいた。整然と並ぶ文化的な日本家屋に目を奪われる。その向こうには海がキラキラと輝き、カモメが飛んでいた。風光明媚(めいび)な本当に素晴らしい場所だった。
この1カ月ほど前に東日本大震災が起きた。震災の翌日、為末さんは行動に出た。自身のブログで「アスリートにできること」というメッセージを掲載した。
「私たちアスリートは希望をもたらすプロフェッショナルです。私たちがこれまで国から社会から支援を受けたのは人々に希望をもたらす存在だからです。苦しいときに人々の力になり得る存在だからです」
被災者への義援金も呼びかけた。アスリートを中心に瞬く間に支援の輪が広がった。当時、日本でスポーツ選手個人が行動すること自体珍しかった。米国サンディエゴで暮らし、競技活動の傍らで社会課題と向き合い、さまざまな学びを持っている為末さんならではの決断力であり、行動力だった。
そこで「時の人」の帰国に合わせ、インタビューを申し込んだ。指定された場所が輪島だった。
「何かが起こった時にアスリートは何ができるんだろう、と想定していました。パッと浮かんだのが、被災地をどうやって支援できるのか。僕らは幸せ、平和な上に成り立つ産業。この状況でメッセージを強く打ち出せるかどうか、で社会における価値が見いだせる。スポーツにとって勝負どころ、アスリートにとっても踏ん張りどころだった」
優しい語り口の中に見える熱い思いが、こちらの胸に突き刺さった。
義援金は、当初の目標額100万円を大きく上回り、この時点で3000万円を超えていた。一個人が始めたものとしては破格だった。しかし一過性の支援で終わらせるつもりはなく、自ら設立した社会貢献団体「アスリート・ソサエティ」の代表理事という立場から、さまざまな支援の形を明かしてくれた。
スポーツには力がある。1人1人のやれることは小さくても、みんなの力を結集すれば思いもしない大きなものとなる。インタビューを通して、そんな思いを強くしていた。
あれから13年近くがたつ。日本におけるスポーツ選手の意識も大きく変わった。自分を生かしてくれる社会のために何ができるか-。日頃からそんな思い口にするアスリートは増えている。
■選手たちから提案「応援に行こう」
そして今回の能登半島地震でも、スポーツを通じて心温まる支援の輪が広がった。
震災翌日の1月2日、全国高校サッカー選手権3回戦。石川県代表の星稜は、地元からの応援団が来られなくなっていた。SNSでいち早く状況を知り、対戦相手の市船橋(千葉)などさまざまな支援者が現れた。そんな中、選手主導で行動したのが日大藤沢(神奈川)だった。
12月31日の2回戦で近江(滋賀)にPK戦で敗れ、チームは完全オフに入っていた。元日、故郷の静岡・三島で過ごしていた佐藤輝勝監督のもとへ電話があった。
「我々に何かできることはありませんか?」
選手たちからの提案で、代わりに星稜の応援に駆けつけるというものだった。すぐに佐藤監督が学校、サッカー協会に確認を取った。
家族とともに神奈川へ戻り、地元・茅ケ崎市のゴミ袋が星稜カラーの黄色だったことに気付き、そのゴミ袋を購入し、会場に向かった。合流した選手たちがマジックで「星稜」という文字を書き込み、上着として被った。全力で応援を続けた。佐藤監督が言う。
「応援をはじめてすぐに涙が出ました。同じ高校生がこうやって一緒になって応援している。誰かが困った時に手を差し伸べることができるか。そういう苦しい時こそ人の本性が出るよ、と言っています。人を大事にする、ウチにはそういう伝統があるし、ここで人間力を磨いて成長してくれる子が多い」
■がん闘病する仲間のため一つに
「伝統」という言葉が響いた。2017年の夏のインターハイで日大藤沢は全国の決勝まで進出している。流通経済大柏(千葉)に敗れたが、準優勝は過去最高成績だった。そのチームには骨肉腫に冒され、がん闘病する選手がいた。その仲間のことを思い、主将を中心にチームが一つにまとまっていた。
誕生日には同期全員が頭を丸刈りにし、ケーキとプレゼントを手に入院する東京の病院を訪れたこともあった。復帰戦にはライバル校の東海大相模の選手たちまで駆けつけ、学園ドラマさながらの心温まる場面があった。またそれ以外でも、練習試合もできず活動に困っているチームがあれば、手を差し伸べたこともあった。
他者への思いやりと明るさにあふれたチーム。そんな伝統は後輩たちへと引き継がれ、今へとつながる。2年間のコーチ時代も含め18年に及び指導する佐藤監督が続ける。
「今年1年間、自分から発信するということをチームでやってきた。人を動かすためには自分からプレゼン、提案ができないといけない。そう言い続けてきました。それが予期せぬ今回の行動につながったのなら本当にうれしいです」
選手権というひのき舞台は敗退と同時に終わりでなく、ピッチの外に真の価値があった。
主体的行動。これは単なるコミュニケーションに終わらず、自ら決断し、行動に移す。言葉で言うのは簡単だが、我々大人でも実践するのは難しい。だからこそ選手たちの行動力には心の底から拍手を送りたい。
災害時にスポーツは何ができるのだろうか。今回の日大藤沢のサッカー部員の行動は一つのヒントになる。小さな思いがつながれば、どんどんと大きな力へとなっていく。
繰り返される大震災の悲劇、それでも仲間がいる。日本人は屈しない。【佐藤隆志】