全日本大学サッカー選手権(インカレ)の代替大会となったアタリマエニ杯は、東海大の優勝で幕を閉じた。決勝で法大を下した。その中で、大健闘を見せたのが、浦和レッズなどで選手として活躍した本吉剛氏(53)が率いる四国学院大だった。

2回戦では堀池巧監督が指揮する順大と対戦した。元Jリーガーの指揮官対決だ。順大はU-19日本代表候補のFW大森やJリーグ内定者を擁し、正直、順当に順大が勝つ、と思っていた。だが、分からないのがサッカー。ロスタイムまでリードしていたのは四国学院大だった。ラスト1プレーで失点し、PK戦までもつれ、最後は順大の辛勝となった。

これまで、四国の大学サッカーといえば、高知大1強のイメージだった。四国学院大は10年にサッカー部を創設、15年に本吉監督が就任。翌16年にインカレ初出場。18年には四国大学サッカー1部で初優勝し、20年も優勝。高知大を猛追するまでになっている。

順大に大善戦した本吉監督は「実は18年のインカレの初戦で順大と対戦して0-4の完敗。旗手君(現川崎フロンターレ)とかいい選手がいて、こてんぱんにされて何もできない試合だった。当時、出ていた選手がいるので、もうちょっと抵抗できるような試合をしないととね、という話はしてました。自分たちの力は出し切った。でも、あそこで勝ちきるのが難しいところ」と収穫と課題を掲げた。

本吉監督は現役を終えると、16年にわたりFC東京の強化部、下部組織のコーチや監督、トップチームコーチなどを歴任した。唯一、Jクラブで接したことがないのが大学年代だった。「ユースで6年やりましたけど、ユースでいい選手はトップに行きますが、高校時代は難しいと思った選手が大学4年ですごく変わることもある。大学はサッカーと向き合う意味で、自分でいろいろなサッカー観、サッカー人生の部分でおもしろいところかなと」。四国学院大の監督の話を、前向きに引き受けたという。

ただ、当時の四国学院大は弱小チームだった。選手の本気度もあまりなかった。「まるでサークル。朝練をやっても半分は来ないですから。ちょっと厳しいことやると、こんなに厳しいことをやると聞いていなかった、とか。他の大学は、ギリギリでプロになれなかった選手が4年間、頑張ろうとやっている中で、最初の2年は、それを変えるのが非常に難しかった」。

プロサッカー界の人脈を生かし、Jクラブのスタッフや現役の選手を呼んで話をしてもらう機会を設けたり、本吉監督の指導経験を選手に伝えることで意識を高めていった。「この選手は高校時代はこうだったけど、大学で成長してプロになったとか。そういう話は知ってますし、その話をしていますね」。FC東京で、何人ものプロを送り出した指揮官の言葉は身近で説得力がある。選手の本気度も増し、今や地元の強豪である香川西高や愛媛FCユースから選手が集まるようになった。

「四国というと大学は高知大学でしょ。だんだん、2年前から拮抗(きっこう)する試合ができるようになって。そうすると周りの目も変わって、高校の指導者の方も、選手を送ってみようかな、と少しずつなってきて。今年も四国リーグで2回目の優勝が出来て、全国大会に出られたんです」。

強豪大学への階段を歩み始め、次なる目標は、四国学院大からJリーガーを輩出することだ。「僕はやはり、いろんな意味で大学で次の世代の、サッカー界を担う人材を輩出しないといけないとすごく思っていて。サッカーがうまい人だけが大事ではない。サッカー界を担うような人材を輩出するという意味では、大学のサッカー関係者が担う責任は大きい。彼らを意識付けて教育するのは自分自身もすごく使命感があってやりがいを感じている。次のハードルとしてプロとして契約できる選手を出したいのはありますし。スカウトの方々も、(全国大会に)たくさんきているので、少しでも興味を持ってもらえるようなところをやれるようになっていければ」。

Jリーグの下部組織とプロの世界を知り尽くす本吉監督の挑戦だ。人間的にも技術的にも成長すると言われる大学年代を、本吉監督が指導するのは大きい。急成長する四国学院大が、全国の強豪となり、プロを輩出する日も近い。【岩田千代巳】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)