日本サッカー協会(JFA)は19日、国際委員を務めていた北山朝徳氏が18日に肺がんのため、居住するアルゼンチン・ブエノスアイレスの病院で死去したと発表した。72歳だった。

北山氏は1947年(昭22)生まれの広島県出身。拓大卒業後に単身でアルゼンチンへ渡り、さまざまな仕事を経験した後、70年に運送業と旅行代理店業を営む「トーシン」を設立。78年ワールドカップ(W杯)アルゼンチン大会で日本のサッカー関係者と出会ったことを機に、JFAのサポートをするようになり、南米サッカー連盟とのパイプを構築した。

南米各国に遠征する日本チームのサポートや南米のチームを日本に招へいする際の交渉役を担い、約40年に渡ってJFAの国際委員として尽力した人物だった。

2002年W杯の日本招致活動の際に南米サッカー連盟が日本を支持した背景には、北山氏と南米連盟の強い絆があった。

JFAの田嶋幸三会長は次のようにコメントした。

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亡くなる4日前にお見舞いに伺いました。直接お会いすることは叶わなかったのですが、TV電話でお話することができました。声も出ていましたので私も安心して帰国の途についたのですが、乗り継ぎの空港で急逝されたと聞き、涙が止まりませんでした。

南米と日本をつないだ北山さんの功績は計り知れず、日本がこうして何度もコパアメリカに招待されたのも、国際親善試合などで南米の強豪と対戦できたのも北山さんの存在があったからにほかなりません。

これからもお世話になると思っていただけに残念でなりません。日本サッカーの発展とスポーツを通じた国際貢献に果たした北山さんの功績に敬意を表し、日本サッカー協会一同、心から感謝申し上げます。

北山さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。