横浜の元日本代表MF中村俊輔(38)が磐田へ移籍することが8日、両クラブから発表された。背番号はこれまでと同じ10。横浜市内で取材に応じた中村は、クラブが資本提携し、編成面で権限を持つ英シティー・フットボール・グループ(CFG)の影響力が強い現体制では、練習参加すら苦しさを感じると涙目で告白。「純粋にボールを追いかけたい」と移籍理由を語った。モンバエルツ監督の続投を決めた横浜は、チームの精神的支柱とクラブの顔を失った。

 トリコロールのユニホームを脱ぐ時は引退の時…。そう決めてきた横浜の背番号10が苦しんだ末、移籍を決断した。黒のスーツ姿で現れた中村は「この1年、いろんなことがあった」と前置きし「サッカーを楽しんで、練習したことを試合で発揮して、うまくいかないところは見直して次の試合に臨む、そのサイクルに戻りたかった。純粋にボールを追いかけたいと思った」と理由を明かした。

 横浜から提示されていた年俸は昨季から1000万円減の1億2000万円とみられるが、磐田とは8000万円で合意。移籍の具体的な根拠は口にしなかったが、クラブの現状への「警句」が見え隠れした。横浜は14年から強豪マンチェスターCなどを傘下に置くCFGと資本提携。監督人事や新外国人獲得などチーム編成を委ねているが、影響力は大きい。今オフはCFGが起用した強化担当者が急激な若返りを図り、中村と同じ38歳のDF中沢が年俸1億2500万円から50%ダウン、DF栗原も大幅減額を提示されるなど、激震が走った。選手から「マンネリ化したつまらない練習」と不満の声が出る中、CFGが推すモンバエルツ監督の続投も決めた。

 シーズン中からチーム内から反発や不満、不信感が出て、中村は主将として、長谷川社長らフロントと再三、話し合った。ただ、親会社の日産自動車から出向している長谷川社長ですら、意思決定できない現実があった。自身の努力だけでは越えられない壁に限界と苦しさすら感じたという。「プライベートで問題があってもグラウンドに来るとなくなってたの。そうじゃなくなってきたときに、苦しくなったな…」。その目はうっすら潤んでいた。

 中村は、長谷川社長とこの日も面会し「マリノスだけでなく日本の宝」とまで言われた。磐田とは2年契約を結んだが、同社長から「最後は横浜に戻ると契約に入れよう」と“超法規的”な提案も受けた。だが、「保険はかけたくない。行くからには骨をうずめるつもりで」と口にしたという。中村は同社長に対し「ここまで扉を開けてくれる社長はいなかった。ありがたかった」と感謝した。

 13年にサポーターが「俊輔と一緒に優勝したい」と掲げた横断幕は今でも忘れることはできない。誰よりもマリノスを愛し、愛されたレフティーがチームを去る。(金額、年数は推定)

 ◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園高を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にレッジーナに移籍。05年にはセルティックに移籍し、エスパニョールを経て、10年に古巣横浜に復帰。00年と13年にJリーグMVP。J1通算338試合68得点。16年はけがもあり19試合4得点。日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年W杯南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ通算98試合24得点。178センチ、70キロ。

<横浜の最近の動き (金額は推定)>

14年 CFGと資本提携。横浜の株式20%強取得

15年 モンバエルツ監督就任

16年 長谷川亨社長へ交代。編成業務はCFGの意向強く反映

11月4日 中沢らに年俸半額提示

11月20日 俊輔に磐田正式オファー分かる

11月21日 モンバエルツ監督続投発表

       俊輔に1億2000万円の年俸提示

17年1月8日 俊輔磐田移籍発表。年俸8000万円