今年こそ「負の歴史」に終止符を打つ。ルヴァン杯決勝はセレッソ大阪と川崎フロンターレが、ともに悲願の初タイトルをかけて激突する。C大阪は1日、大阪・舞洲で練習。V逸の歴史を知る“ミスターセレッソ”森島寛晃(45)が「今は勝負強い」と過去からの脱却に太鼓判を押した。尹晶煥監督(44)も「ベストメンバーでいく」と明かし、タイトルへの強い意欲を示した。

 「もう12年ですか…」。立派になったおなか回りをなでながら、森島は遠い目を天井に向けた。

 05年12月3日、勝てば優勝の一戦。東京を迎えたホーム長居(現ヤンマー)は、歓喜の舞台となるはずだった。それが残り1秒で追いつかれる悲劇。冬空のピッチに散った桜の花びら。33歳の“ミスターセレッソ”森島は「ここで勝たないと一生、負け犬になる」と言って大一番に臨んだ盟友・西沢明訓と、悔し涙を流した。

 00年第1Sも勝てば優勝の一戦に敗れた。天皇杯も準優勝が3度。「ここ一番に弱い」が定着してしまった。「印象的だったのが00年。翌日が代表招集でアキ(西沢)と2人、ひと言もしゃべらず移動した。代表ではいじられ、(優勝した横浜)マリノスの選手には『ありがとう』と言われた。悔しい思いはたくさんしてきましたよ。そのたびに感じたのは『優勝って難しいな』。優勝したい思いはより強くなる」。

 屈辱の記憶は鮮明だ。01年度天皇杯、清水との決勝は「僕がボールを奪われて決勝点を奪われた」。それ以外にも「あそこでもう1点決めていれば」「雰囲気にのまれた」と敗因は明確。「数々の勝負弱さを振り返ると、何か足らなかったな、と。1番になる準備ができていなかった」と言う。

 そんな屈辱の歴史があって、今がある。「いいゲームをして勝ちきることができる。それがチーム力。今は勝負強くなった。僕は『野鳥の会』の人のように毎日、選手の頑張りを見てますから」。監督の尹晶煥からも「持ってない人」といじられる男は「(初Vに)乗っかっていきたい」。自らも、不運な過去からの脱却を狙っている。(敬称略)【実藤健一】

 ◆C大阪のV逸 00年第1Sは、勝てば優勝だった川崎F戦にVゴール負けで横浜にタイトルをさらわれた。05年は勝ち点2差に5チームがひしめく大混戦を首位で最終節を迎えたが、試合終了間際に東京に追いつかれ、G大阪に大逆転Vを譲った。天皇杯でも94、01、03年度と3度決勝に進出したが、いずれも準優勝に終わっている。ちなみに前身のヤンマーは日本リーグ4度、天皇杯3度などの優勝を誇る。