J2水戸ホーリーホックから完全移籍で9季ぶりに東京ヴェルディに復帰したFW林陵平(31)が14日、都内で行われた新体制発表会で、クラブの偉大な先輩の横浜FCカズ(三浦知良=50)も着けた、背番号11を背負う感慨を口にした。

 17年に水戸で14得点と結果を残し、複数のクラブが接触してきたが、最初に正式オファーをくれたのが古巣の東京Vだった。「ずっと心の中にあるクラブ。いつかはプレーしたかった。縁がつながった」と復帰を即決した。

 モンテディオ山形で12得点を決めた13年、そして14得点を決めた17年に着けた背番号8に好印象を持っており、東京Vでも…と思っていたところ、羽生英之社長と強化部から「(11番は)お前が、いいんじゃないか?」と言われた。熟考した上で、19年に前身の読売サッカークラブの創部から50周年を迎える東京Vのエースナンバーを背負う覚悟を決めた。

 ジュニアからの東京V育ちで、ユースでも背番号11を背負った。明大をへて、09年に「緑の血が流れている」と今でも公言するほど愛する東京Vでプロデビューした。「僕はヴェルディで育った。カズさんも背負ったエースナンバーを背負ってプレーできることは、なかなかないこと。プレッシャーは全然ないですけれど、カズさんの番号を着けたいと思いました。カズさんは今でも現役…カズさんの分も背負って、と言うのはおかしいですけれど、ヴェルディで頑張りたい」と固い決意を口にした。

 林が入団した09年から、東京VはJ2での戦いが続いてる。同年に日本テレビが経営から完全撤退し、クラブは存続の危機に立たされた。「あの時は、なくなるんじゃないかというところまでいきましたし、選手の中でも大丈夫か、みたいな部分はあった。大変だった」当時を振り返った。

 それから9年がたち、東京Vは17年にクラブ初のJ1昇格プレーオフ進出を果たすなど、名門復活に向けて着実に前進している。林は「俺がいた時よりは経済的にもそうだし、戻ってきている部分はたくさん感じられるので、すごくうれしい。スペイン人監督がやってきて、結果を出して、今年も出せば戻ってこられると思う。その部分は、すごく楽しみ」と笑みを浮かべた。その上で「まだまだ、昔には戻れていない。J1の舞台に上がらないと、いけないクラブ。チーム全員で頑張っていきたい」と意気込んだ。

 東京Vには、17年に得点ランク6位の18得点を決めたFWドウグラス・ヴィエイラ、同8位の17得点を挙げたアラン・ピニェイロのブラジル人強力2トップが控えるが、真っ向勝負する。「ポジション争いがあるのは当たり前。いろいろな選手と争ってきた。柏レイソルではフランサ、北嶋秀朗選手、工藤壮人選手、田中順也選手、東京Vでは平本和樹さん、大黒将志選手と争ってきた。恐れはないし、負けるつもりはない」と気合を入れた。【村上幸将】