東日本大震災から7年が立った11日、盛岡市出身の鹿島アントラーズMF小笠原満男(38)は茨城県・鹿嶋市のクラブハウスで振り返った。

 「思うことはいろいろあるし、つらい日でもある」

 いまだ、あの大惨事が心から消えることはない。当時は震災から1週間で被災地に飛んだ。復興を支援する「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人として活動し、毎年、幾度となく被災地に足を運び続ける。そこで思うことがある。

 「7年になるけど、いまだに仮設住宅で暮らしている方も多くいるし、津波が来たエリアにほとんど何も立っていない地域もある。7年でこれしか進まないか、というくらい復興はすごく遅れていると思う」と訴えた。

 高校時代を過ごした岩手県大船渡市には昨年、市や地元の人たちと協力して、人工芝のグラウンドを完成させた。雨や雪などの悪天候にも負けないように、と。だが「つくって終わりにするんじゃない。このまま活用していってもらえる仕組みを考えていきたい。いろいろな大会やサッカー教室をして、外部から子どもたちを被災地に呼び、まず被災地を見てほしいということと、何かを感じ取ってほしいという意味で。そういう大会をつくっていきたいなと、地元の人と話している」。

 そこには小笠原だけでなく、被災地の人たちの“危機感”がある。

 「7年立って(記憶が)薄れてきている部分があるのも1つだけど、東日本大震災を知らない子たちが生まれてきている。今の小学生ぐらいは記憶にあるかないか、ギリギリ。7年前に生まれていない子もいる。そういう子たちに今度は伝えていく必要がある。2度とああいう被害が起きて欲しくないし、南海トラフ地震とか、関東大震災クラスのものが、かなり高い確率で来るんじゃないかと言われていて、決してああいう地震や津波を人ごとだと思ってほしくない。『いつか来る』と思って備えておくに超したことはない。そういうのを訴えかける機会をつくっていきながら、地元の活性につなげていく形が、今後は理想かなと、みんなと話しています」

 今、被災地から人が流出しているという。サッカー界にとっても、その問題は大きい。

 「子どもたちの人数が減ってきていて、1チーム11人組めないチームもあったりしている。なので、ぜひああいう人工芝を使って、子どもたちがスポーツをどんどんできる環境も、そういう意味でも良いんじゃないかなと思います。反対に、被災地に人が来てくれるような流れをつくれれば、いいのかなと」

 大船渡市の旧赤崎小の跡地につくった人工芝のグラウンドでは、年明けに1度、大会を開いた。今度は夏にも開きたいという。

 「大船渡は、冬でもあまり雪が降らないし、凍ったりしない。東北の中でも暖かい気候を生かして、大会なり合宿を誘致する流れをつくっていきたい」

 東日本大震災から、まだ、7年しか立っていない。小笠原は常に、寄り添っている。