松本山雅FCから完全移籍で8年ぶりにジェフユナイテッド千葉に復帰した元日本代表MF工藤浩平(33)が、7月1日の移籍決定から1カ月で松本と初対戦し、敗れた。

 この日はMF佐藤勇人(36)と先発しコンビを組み、中盤の深い位置から前線まで動き攻守のリンク役となった。前半32分、MF清武功暉の左クロスを中央の船山貴之が落とすと、思い切りよくシュートを放った。枠を外すと、頭を両手でかきむしり悔しがった。後半35分にも、右CKがDFに弾かれたこぼれ球をシュートする積極性を見せたが、枠を捉えることは出来なかった。

 工藤は、千葉県市原市立清水谷小5年時に千葉の下部組織ジェフユナイテッド市原辰巳台スクールジュニアに加入し、03年に千葉でトップチームに昇格した生え抜きだ。イビチャ・オシム監督に鍛えられ、05、06年にはナビスコ杯(現ルヴァン杯)連覇も経験。07年にオシム監督の息子・アマル監督の元で定位置を確保すると、08年には岡田武史監督率いる日本代表にも招集されたが、09年に千葉はJ2に降格。「ギリギリで落ちないジェフを見てきたし、ナビスコ杯で優勝したり、オシムさんがいたりだとか、いい時期も知っている。J2に落としてしまった責任も感じ、悔しい思いをしました」と当時を振り返った。

 10年には背番号10を背負ったが千葉をJ1復帰に導けず、11年にJ2京都サンガに移籍。15年にはJ1サンフレッチェ広島に移籍したがリーグ戦1試合、ナビスコ杯5試合の出場にとどまり、同年6月に松本に移籍。同年にJ1で15試合に出場し、J2に降格した16年にはリーグ戦42試合、17年にも41試合に出場と主軸として活躍した。今季は松本で21試合中、12試合に出場したが、先発は2試合にとどまり千葉に復帰。この日で4戦連続で出場と、欠くべからざる存在となっている。

 工藤は「1年でしたけど、J2で戦ってJ1に上がれなかった悔しい思いもあった。いろいろあって、出て行くことになりましたけど、ジェフはJ1にいなきゃいけないチームだと、帰ってきて改めて思ったし、覚悟を持って1日、1日をやっていきたい」とかみしめるように語った。

 この日の敗戦で、順位は14位のままながらJ1昇格プレーオフ圏の6位・横浜FCとの勝ち点差は9と、さらに1差がついた。「(J2は)そんなに甘くなくなってきている。僕も京都と松本でプレーオフを経験しましたけど(J2のレベルが)年々、上がってきている。その中で、力を付けてJ1に上がった時に、安定した戦いをしながら優勝できるチームになっていきたい」と厳しい見方を示した。

 自身の立ち位置については「ベテランというか、上の方ですし。引っ張っていくタイプではないですけど、経験を伝えていかなければ行けないし、若手に負けないように頑張りたいというのもあるし」と口にした。千葉の強い時期を知り、外で新たな世界も見てきた工藤は、経験とプレー両面で千葉再生のけん引車となる。【村上幸将】