19年から関東サッカーリーグ1部ブリオベッカ浦安の監督に就任する、元日本代表の都並敏史氏(57)が20日、ホームの千葉県浦安市役所を訪問し、内田悦嗣市長にあいさつし、会見を開いた。

都並氏は、2005年(平17)に当時J2のベガルタ仙台の監督を務めて4位、07年に率いたセレッソ大阪は9位、08年に率いた横浜FCでは10位と、いずれもJ1昇格にチームを導けなかった。「08年に横浜FCで監督を解任されて10年…いつか監督をやりたいと思っていた。監督としては、結果を出していないと思います。出せるように頑張りたい。久しぶりの監督、やってやるぞという感じ」と意気込んだ。その上で「以前の失敗は正直、自分のプライドを隠すことが出来ず、プレーヤーズファーストではなかった。選手が伸び伸びと、全力でプレーできる環境作りが大事だと思う」とも語った。

2014年2月からテクニカルディレクターを務めているブリオベッカ浦安は、1989年(平元)に前身の浦安ジュニア・サッカークラブの立ち上げ時から関わっており「今一番、愛しているクラブ」と強調し、笑みを浮かべた。

ただ、クラブは16年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格も、翌17年に15位で関東リーグに降格した。今季はカマタマーレ讃岐などを率いた羽中田昌氏が監督に就任も6位と低迷して9月に解任され、鈴井智彦ヘッドコーチが監督代行に就任と苦しんでいる。

都並氏は、その現状を受けて「1度目にJFLに昇格した時、選手に謙虚さ、団結があった。その団結に、陰りが出てきているのかなと。ライバルが強力で、非常に難しいが再昇格…地域に愛されなければいけない。強くなって、大きくなっても敷居が低いクラブを作れれば」とJFL再昇格を目標に掲げた。

その上で「攻撃に関しては、選手のイマジネーションをある程度、殺してはいけない。組織的な守備をするには味方のために汗をかく、労を惜しまない姿勢が重要。それが出来る精神、体力的成長から入りたい」とチーム作りのビジョンを語った。

内田市長から「名前と実績のある都並さんに、浦安を盛り上げて欲しい」と期待感あふれるメッセージを送られると、都並氏は「名前はあるけれど実績がない。何とか頑張りたい」と苦笑いした。【村上幸将】