「普通ですね」「普通だね」。何となく神戸の勝利が見え始めた終盤、記者席の隣に座るサッカー担当キャップと言葉をかわした。元日の国立-。自分がサッカー少年だったころは初詣と同じくらい、いやそれ以上に重要だった。元日という「特別」な日に、国立という「特別」な場所で見るサッカー。「特別」だからこそ胸が躍ったが、新しい国立は「普通」に見えた。

元日の国立決勝は東京五輪開催から4年後の1968年度からだ。当時、国立ほど大きな競技場はなかった。スタンドに足を踏み入れると、見たことのない風景が広がった。隣の神宮球場さえ小さく感じる巨大スタジアム。それが50年前の「特別感」だった。93年にJリーグが始まっても、それは変わらなかった。

ところが、W杯開催で変わった。98年には日産スタジアムができ、01年には埼玉スタジアムが完成した。国立よりも多くの観客を収容できたり、球技専用だったり、国立の「特別感」は薄れていった。ホームとして試合をしていた日本代表も離れた。「聖地」という言葉さえ怪しくなった。

「5万7597人」という観客数が、電光掲示板に映し出された。新しい「聖地」のこけら落としとしては、寂しい数字だ。当初は「世界一のスタジアムを目指す」だったはずだ。「8万人収容」「開閉式屋根付き」「空調完備」…。夢は広がった。ところが、できたものは違った。よくも悪くも「普通」だった。

もちろん、建設費用を抑えて工夫した素晴らしいところもある。意外と見やすいし、スタンドも雰囲気も悪くない。「普通」だからこそ神宮の杜にも溶け込みやすい。ただ「特別」でないと、今後が心配。長く「聖地」であるためにも、国立は「特別な場所」であってほしい。【荻島弘一】

◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)東京都生まれ。84年に入社。サッカー、五輪などを担当し、96年からデスク。05年から編集委員として現場取材に戻る