4月に就任したガンバ大阪の小野忠史新社長(58)が、日刊スポーツの電話取材に応じた。高校球児としてPL学園時代には、夏の甲子園で全国優勝した異色の経歴の持ち主。新型コロナウイルス問題の真っ最中に就任したが、持ち前のバイタリティーや人脈を駆使し、夏のJリーグ再開へ戦闘準備を整えている。【取材・構成=横田和幸編集委員】

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小野社長が副社長から昇格したのは4月14日付。その1週間前、新型コロナウイルス問題で東京、大阪など7都府県を対象に初の緊急事態宣言が発令されており、既にクラブはチーム練習を休止させ、職員も在宅勤務に入っていた。選手へはビデオメッセージを、職員にはメールを送って一致団結を訴えた。

「選手には公式戦再開へ、我々の使命をしっかり果たしていこうと伝えました。この2カ月は運命と受け止め、前向きにやってきました。あとは(職員を含めて)僕のことを社長と呼ばないようにと言いました。気楽に相談できる存在でありたいと思っています」

パナソニックでは車載機器を日産自動車などに提案する、営業部門の責任者を務めてきた。それが昨年4月、G大阪へ出向して副社長に。その人生の礎はPL学園、東洋大、松下電器(現パナソニック)と歩んできた野球だった。

右投げ右打ちの小野社長はPL学園時代、強打の3番三塁手で、4番小早川らと3年春のセンバツで甲子園ベスト4に導いた。2年夏には背番号15でベンチ入りして全国初優勝。奇跡的な逆転勝ちを続けて「逆転のPL」と呼ばれた。その時の先輩、3年生捕手で主将の木戸克彦氏(59)は現在、プロ野球阪神の球団本部プロスカウト部長を務める。

「木戸さんとは今でもお付き合いがあって、阪神とガンバでコラボをしようと話し合っています。昨年は両者のオリジナルタオル付き企画チケットを発売して完売した。阪神ファンにも、ぜひガンバを応援してもらいたい」

阪神球団本部付テクニカルアドバイザー和田豊氏(57)の日大時代、東洋大の小野社長とは東都大学リーグで首位打者を争った。最後は和田氏がタイトルを獲得し、小野氏は3位だった。福原忍投手コーチ(43)は東洋大、福留孝介外野手(43)はPL学園の後輩にあたる。その縁を大切にし、阪神とG大阪でチームも含めた共闘企画にも発展できればと願う。

コロナ問題でリーダーシップを発揮した吉村洋文・大阪府知事(44)は、小野社長の大阪・河内長野市立千代田中の後輩にあたる。同知事と宮本恒靖監督(43)は、大阪府立生野高の同窓生で1学年違い。これほどの縁が重なることは珍しい。

「昨年10月にも(クラブが大阪府の児童虐待防止キャンペーンに協力したことで)知事にはパナスタに来場してもらった。今年も何かできればと考えています」

パナスタを使用する16年以降、G大阪は無冠が続く。今季の目標はもちろん5年ぶりのタイトル獲得だが、その前に選手とは同じクラブの人間として目線を合わせたいという。

「最後はタイトルをサポーターに贈りたい。このスタジアムは(約140億円の多くが)寄付で完成したわけだし、寄付してくれた人への恩返しもしたい。そのために選手には経営のこと、パートナー企業や来場者の数などをきっちり伝え、全員で心を1つにして、この難局を乗り越えていきたい。あきらめなければ夢はかなう。感動を与えられるのがスポーツの魅力です」

甲子園などで培ってきた経験が、G大阪を再び黄金時代へと後押しするはずだ。

◆小野忠史(おの・ただし)1961年(昭36)7月22日、大阪・河内長野市生まれ。PL学園から進んだ東洋大では、4年時にメディアに「ドラフト候補生=実力度B」に。84年ロサンゼルス五輪も目指して松下電器に入社し、1年目から都市対抗に出場。腰痛で29歳で現役引退、ヘッドコーチなど歴任後は社業に専念。松下電子部品、オートモーティブシステムズ社を経てG大阪へ。