横浜FCのFWカズ(三浦知良、53)が川崎フロンターレ戦で53歳6カ月28日でのJ1最年長出場記録を打ち立てた。

15歳で単身でブラジルに留学し、サントスとプロ契約してから35年目。海外へ挑戦することが夢物語だった時代に、愛息の背中を後押しし、以来、ずっとカズのサッカーを見続けている父の納谷宣雄氏(78)に話を聞いた。

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カズは中学時代、高校の進路希望に「ブラジル」と記した。日本にプロリーグができる前の時代。誰の目にもとっぴに思えたが、納谷氏は驚かなかった。

納谷氏 自分は1970年のワールドカップ(W杯)メキシコ大会に行って初めてブラジル代表を見たんだよね。知良はまだ小学校の時だったけど、ブラジル代表や他の代表のビデオを持って帰ってきて、見せたんだよ。そういうのが影響して、あいつは自分の中でブラジルを知っていた。「ブラジルに行きたい」って自分で言い始めてね。

当時、王国・静岡のサッカーのエリートコースは高校で県代表に選ばれユース代表へ進むこと。カズの兄の泰年氏は静岡学園高で県代表として国体に出場しユース代表になっている。カズも城内FC、静岡学園とエリートコースに乗っていたが「環境を変えて、うまくなりたい」とブラジル留学へ向かう。

納谷氏は反対はせず、夢を後押しした。「みんなとは違う、他のことを考えているんだなあ、もっとうまくなりたいと思ってるのかなと思った。ヴェルディ、日本代表に入った後、イタリアに行くという時の方がびっくりしたよ(笑い)」。

異国の地でも、誰とでも仲良くできる性格ゆえ、心配はしなかった。技術面でも通用するという確信を持って送り出した。

納谷氏 サッカーが好きで子供のころから人の倍、練習をしていた。遊ぶのもサッカー。練習から帰ってきてもサッカー。「やめろ」というまで続けて。(静岡)学園の時、体が小さいから試合に出られない時もあったんだよ。ボールを持ちすぎだとか、体が小さいからダメだとか。でも、オレは他の選手よりうまいと思っていた。15歳でブラジルに行って、球を突いて遊んでもブラジル人よりうまかったからね。クラブチームのジュベントス、ジャウーでブラジル人もビックリしたほどうまかったから。基礎的なことはできていた。

言葉もすぐ覚え、同僚のブラジル人選手の家に遊びに行くと、家族ともすぐに打ち解けた。中学卒業時、150センチほどしかなかった身長も、ブラジルに留学して2年でグングン伸びた。86年、サントスと契約し、プロ生活がスタート。留学中、苦しいことがあっても父親の前で弱音を吐いたことは1度もなかった。

それから35年。53歳でJ1の舞台に立ちプレーする。

納谷氏 53歳まで(現役を)やると思わなかった。毎年「来年あたりは終わりじゃないか?」と思って今になっちゃったけど。あいつも自分の中で、横浜FCのため、日本のサッカー界のために役立っていると思っているんじゃないかな。サッカー界のためにも頑張ってほしいという声が励みになってると思う。その気持ちが折れた場合はやめると思うけど。やめた方がいいという声、励ましの声がある中で、自分の中で励ましてくれる声が多いと思ってるからやってるんでしょう。これだけやれているのは、幸せだよ。

セリエAジェノア時代、ACミランとの開幕戦で鼻骨を骨折し手術を受けたが、長い長い現役生活で首から下にメスを入れたことがない。強靱(きょうじん)な肉体、海外でもたくましく生き抜いた“秘訣(ひけつ)”は家系のようだ。納谷氏の父は、現在の静岡高校の野球部出身で甲子園出場経験を持つ。お茶の貿易を手がけ英語も堪能だった。

納谷氏 おやじは102歳、おふくろは96歳まで生きた。当時から外国に行くことも平気だった。昔は海外に行くとなると親も反対するだろうけど、そう考えると、ウチは違ったんだろうね。オレの妹も今は75歳だけど、22歳の時に1人で欧州に旅行してスウェーデンの人と結婚して、今も現地にいるよ。知良にもそういう血が流れてるのかな。

納谷氏のブラジルの友人は、カズが今も現役でいることを心配し「長生きするためにもやめさせた方がいいよ」と話しているそうだ。父ももちろん、心配するが「知良はサッカーで死ぬならそれでいいって言うかもしれないな」と笑った。それは、愛息への最上級の敬意が込められた笑いだった。