元日本代表DF松田直樹さんが急性心筋梗塞のため34歳で亡くなってから、4日で10年を迎える。

松田さんが16年間プレーした横浜F・マリノスは3日、10年の節目を前に記者会見を行い、AEDの普及活動などを継続していくことをあらためて表明した。

下部組織から横浜一筋で、19年シーズンをもって引退したクラブシップ・キャプテンの栗原勇蔵氏は、同じセンターバックとして松田さんの背中を追い続けた。「同期の(GK)榎本(哲也)と、『自分は川口能活みたいになる、自分は松田直樹みたいになりたい』とよく話していた。何が一番すごかったかというと、存在感。プロ18年やってきて一番だった」と振り返った。

続けて「亡くなってからAEDを普及させたのは間違いないし、助かった命は多いと思う。亡くなっても存在感があるマツさんは本当にすごいし、いつまでも憧れる存在。マツさんが生きていたらやってくれていたことを、少しでもやっていきたい」とあらためて誓った。

クラブOBでアンバサダーの波戸康広も「何がすごかったかというと、人の心を動かす、引きつけるところ。同学年だけど、追いつきたい思いでやっていた」と現役当時の思い明かし、「今、彼と会って話すなら、やはりサッカーのこと。彼の大好きなサッカーをこれからも伝えたいし、万一に備えた啓発活動を発信したい」と話した。

横浜は松田さんの死後、「#命つなぐアクション」と題して、心肺蘇生法やAEDの普及を目指した取り組みを続けている。栗原氏は「あのとき(AEDが)普及していたら、という後悔もある。AEDのおかげで助かったというニュースを見るたびに『やったよ、マツさん』と思う」と話す。

一方で、10年が経過して松田さんを知らない世代も増えてきた。横浜は10年の節目に、松田さんの死後永久欠番としていた「背番号3」のユニホームを初めて販売し、売上の利益全額を「#命つなぐアクション」などの活動費に充てるという。

横浜の黒沢良二社長は、「彼が残してくれたものとして、AEDがある。残してくれたことをポジティブにとらえて、『#命つなぐアクション』を広げていきたい」と話した。