札幌ミハイロ・ペトロビッチ監督(64)が、京都サンガFC戦でJ1通算500試合目を達成した。

大台到達は最多524試合の西野朗氏に続く史上2人目、外国人監督では初の快挙となった。節目の試合は1-0で勝利で飾った。06年から広島、12年から浦和を率いるなど来日17年目。1日に80歳でこの世を去った恩師イビチャ・オシム氏との別れを乗り越え、記録を樹立した。

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勝利の瞬間、ペトロビッチ監督は笑顔でベンチに振り向き、スタッフと抱き合って喜んだ。選手を1人1人、ねぎらうようにハイタッチして迎えた。メモリアルゲームでの白星。「私1人の力ではここまで来られなかった」。あふれるのは感謝の気持ちだった。

来日17年目。広島、浦和、札幌を率いて、J1・500試合目の指揮だった。前日6日、報道陣から数字を聞いて「500?」と驚いた。「監督業というのは、明日どうなるかわからない仕事。自分のトランクは常に半分荷物をまとめたままにしておくように教わった」と、目の前の仕事に集中してきた。その積み重ねが、外国人監督として史上初の偉業につながった。

今週は指揮官にとって悲しい出来事があった。シュトルム・グラーツ(オーストリア)でアシスタントコーチを務めていた時の監督だったオシム氏が1日に亡くなった。94年から28年間、影響を受けてきた尊敬する存在。広島時代から通訳を務める杉浦コーチには「もうグラーツ(オーストリア)に帰っても会えないんだな。本当にいないのかな」と寂しそうな様子を見せていたという。昨年12月、帰国した時に会い、それが最後となった。「彼はサッカー界のイノベーター。世界中の誰よりもサッカーの方向性を見抜く力がすごかった」と振り返る。

師から学んだことを継承し、ペトロビッチ監督も日々欧州サッカーを見て研究。500戦目も哲学を貫いた。口にしたのは「攻撃こそ最大の防御だ」。先発にFW表記はゼロ。前線にストライカータイプを置かない戦術だが、走り、戦い、相手を揺さぶった。後半7分、右CKからMF高嶺のヘディングシュートで先制した後も、守備を固めず追加点を狙った。ミシャ(愛称)は501試合目も攻めていく。【保坂果那】