ファンタジスタが、ユニホームを脱ぐ。

J1昇格を決めた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が、今季限りで現役引退することが17日までに、分かった。近日中に発表される。横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、レジーナ(イタリア)、セルティック(スコットランド)、エスパニョール(スペイン)など、一時代を築いた希代のレフティー。その左足で、数多くの感動を与えてきた男が、ピッチから去る。第2の道については、未定だというが、指導者も候補に挙がっている。「俊輔監督」も、期待される。

プロ26年目。44歳を迎えた男の体は、ボロボロだった。今年6月。右足の手術を行った。芸術的な左を支えてきた軸足の関節部分は、もろくなっていた。手術後には、患部の感染症を起こした。9月中旬ごろに全体練習に復帰。2日のエリート・リーグ名古屋グランパス戦で途中出場し、全体練習でも軽快な動きを見せていた。ただ、限界だった。

昨季途中から「引退」を考えていた。21年シーズンの途中には、周囲に「やりきった」と漏らすこともあった。家族の支えもあり、思いとどまったが、常に「引退」の2文字は脳裏にあった。背番号変更も、1つの表れだったのかもしれない。昨季まで10を着けていたが、今季から25に変更。「自分が10を着けるより、若い人が背負った方がいい」とMF安永(現水戸ホーリーホック)に譲った。25は、横浜Mでプロ生活をスタートさせた時の数字だった。

フレッシュな背番号を背負い、原点に戻った22年シーズン。体はボロボロでも、その存在感は際立った。3月13日のリーグ戦第4節・水戸ホーリーホック戦では「27秒後アシスト」で話題を呼んだ。2-2の後半38分から途中出場。ファーストプレーとなった左CKのキッカーを務めると、桐光学園の後輩・FW小川のドンピシャのヘディングをお膳立てした。

前日16日のホーム最終戦・ツエーゲン金沢戦では、後半28分から途中出場。5月21日以来、約5カ月ぶりのピッチだった。2-3の後半42分は、ゴール手前中央からFKのキッカーを務めた。ゴール左を狙った弧を描いたシュートは、惜しくも相手GKにはじかれた。それでも、スタンドのどよめきが期待を物語っていた。同ロスタイムには、ゴール前で、フリーの絶好機を迎えたが、珍しい? ダイビングヘディングは相手のファインセーブに阻まれた。

1つの時代が終わる。セルティック時代には、06-07シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で、名門マンチェスター・ユナイテッド相手に、鮮やかなFKを2本も決めてみせた。アウェー、ホームで、それぞれ1発。まして、相手GKは名手の元オランダ代表ファン・デル・サールからネットを揺らしてみせた。

“魔法使い”、“ファンタジスタ”…。さまざまな愛称で親しまれた。周囲からは「まだ続けられる」「早すぎる」など別れを惜しむ声も多く上がっていたというが、“日本の10番”が、ピッチに別れを告げた。

◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にセリエAのレッジーナに移籍。05年からはスコットランド1部リーグのセルティックでプレー。その後、スペイン1部リーグのエスパニョールを経て、10年に横浜に復帰。17年から磐田。19年7月から横浜FC。00年と13年にJリーグMVP。日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ通算98試合24得点。178センチ、71キロ。