Jリーグの川崎フロンターレなどでプレーし、21年3月に引退した武岡優斗氏(36)が、再生医療の現場でセカンドキャリアを歩んでいる。
プレースタイルは超攻撃的サイドバックで1対1の強さを誇る“武闘派”だったが、ピッチ外では物腰柔らかで気さくな人柄だった。引退しても、その姿は変わっていない。
武岡氏を訪ねた。
◇ ◇ ◇
名刺をもらうと「経営企画部 セルソース バイオセラピー コンダクター」と記されていた。セルソース株式会社(本社・東京都渋谷区)は再生医療関連事業の会社。
現在は主に、治癒促進の効果が期待される同社の技術をJリーグのクラブなど、アスリートにプレゼンテーションする営業を担っている。
まもなく就職して3年目になる。「なんやかんや、楽しんでます。僕がいるチームが和気あいあいとしているので」と充実した笑みをこぼした。
引退を決めたとき、自身の目標や夢が明確にあったわけではなかった。「サッカー界に残るか残らないか」の2択で「残らない」とだけ決めた。知人に今後を相談する中、人材派遣の会社を経営する人物を紹介され、その縁で紹介された会社が「セルソース」だった。
現役時代、武岡氏は右膝を2回、左膝を2回、合計4回の手術を受け、長期離脱を経験している。武岡氏は再生医療の治療を受けたことはなかったが、身近なチームメートが受けており、「再生医療」というワードは耳にしたことはあった。
面接では「にわかな知識で通じる世界でもないし。取りつくろったところで、いいことはない」とありのままの自分を出した。
「サッカーがなくなった今、何を軸に生きていけばいいか分からないし、今もそれが続いています」と率直な心境を伝え「けがで苦しんできた部分もあったので、会社の中のだれよりも、けがについては分かるんじゃないかと思う」と言葉にした。
合格し、引退から2カ月後の21年5月。セルソースでのセカンドキャリアがスタートした。
◇ ◇ ◇
最初の配属先は営業推進部。医療機関へ営業に出向き、主に医師と会い、プレゼンテーションをする仕事だ。現役時代はコミュニケーションツールはスマートフォン。パソコンを使うのはほぼ初めてで「どこに指を置いていいか分からなかった」と苦笑しながら振り返る。
「パソコンで資料を作ることはしたことないし、新卒の学生より何もできない状態。本当に僕からしたら、よく内定が出たな、というのがうそ偽りない意見(笑い)」。それでも逃げずに一から勉強を重ねた。
ちょうど入社したころ、会社ではJリーグクラブとのサポート契約が増え始めた。入社して4カ月が過ぎたころ、プロのスタートを切ったサガン鳥栖とメディカルサポート契約を結び、ウェブ会議で古巣のスタッフと再会。その後、セレッソ大阪とも契約を締結し、鳥栖で武岡氏をプロに導いてくれたスカウト担当が、セレッソ大阪のスカウト担当として在籍しており、セカンドキャリアの職場で、恩人との再会も果たした。
◇ ◇ ◇
サッカーから離れると決めて進んだ道で、導かれるように再びサッカーと関わっていく。選手として成長を遂げ、タイトルを経験し、日本代表候補にもなった川崎Fとも仕事をした。
21年5月、引退セレモニーでフロントスタッフと再会。当時の強化担当者に、雑談レベルでセルソースの再生医療技術の話をした。自ら資料をつくり、会議を重ね、1歩ずつ進んでメディカルサポート契約にこぎつけた。
武岡氏は「フロンターレの最後の年(18年)、憲剛さん(中村憲剛氏)だったかな? 『いつか戻ってくるんだったら、外部で関われたらいいなと思っているんですよね』と雑談ベースで話していたんですよね。まさか、こんなに早いタイミングで実現するとは、というのが率直な気持ち。サッカー界とまったく違う世界にいてサッカー界に戻るという、不思議な感覚です」。
現在、セルソースはガンバ大阪、セレッソ大阪、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、名古屋グランパス、コンサドーレ札幌、湘南ベルマーレ、J2ジェフ千葉などとメディカルサポート契約を結ぶ。
千葉では、国士舘大の後輩で、川崎FでともにプレーしたGK新井章太(34)が正守護神として現役を続けている。千葉の現場でも新井と再会。「セルソースの社員」として、スタジアムで新井のプレーを見ている。
◇ ◇ ◇
けがを抱えてプレーした現役時代を振り返り「僕がプロ12年の間で2年、けがで苦しんだから。少しでも貴重な時間を元気にピッチに立ってプレーしてほしいし、選手でいられる時間を、有意義に過ごしてほしいとあらためて思います」と話す。
やりたいことを見つける旅は続いているというが、採用してくれた会社に感謝し「人生で共に歩んできたサッカーに、少なからず恩返しっぽいことはできてるのかな」とやりがいを感じている。
今後は、セルソースがサービスを提供している医療機関で治療を受けたアスリートをインタビューする企画も担当する。将来の夢や目標は今も模索中だ。
「夢と言われると難しい。僕はただ、奥さんやまわりの人とかと笑って楽しく過ごしたい。死ぬ瞬間に、人生楽しかったなと思って死にたいタイプなんで。性質上、流れに身を任せて生きてきてるんで」
◇ ◇ ◇
思えばプロ入りが決まったのも、大学卒業のわずか3カ月前だった。就職活動もせず「フリーター」を覚悟し、両親にも謝っていた中で、鳥栖の加入が決まるサプライズだった。
今回も人と縁に導かれ、再びサッカー界に関わるサプライズ。今も所属したチームのサポーターに愛される武岡優斗がどんな道を進むのか-。今後の活躍も追いかけたい。
【岩田千代巳】
◇ ◇ ◇
◆武岡優斗(たけおか・ゆうと)1986年(昭61)6月24日、京都市生まれ。国士舘大を経て09年に当時J2の鳥栖に加入。大卒1年目でJ2で40試合に出場し3得点。10年にJ2横浜FCへ移籍。10年は21試合に出場も、右膝の故障、手術で11年は出場はなかった。14年にJ1の川崎Fへ加入。14年は4試合の出場にとどまったが、15年に30試合に出場し東アジア杯の日本代表予備登録メンバーに入る。17年にリーグ初優勝を経験。19年はJ2甲府、20年にJ2山口でプレーし引退。J1通算60試合1得点、J2通算179試合14得点。
◆セルソース 医療機関向けに、再生医療に用いるための脂肪由来幹細胞の培養や血液の加工受託サービスなどを提供している。Jクラブには、セルソースが特許を取得しているPRP由来サイントカイン「PFC.-FDtm」を用いる療法で、組織の修復や痛みの軽減、機能回復の効果が期待されている。15年11月設立。代表取締役社長CEOは裙本理人氏。



