青森山田が2大会ぶり4度目の頂点に立った。決勝で近江(滋賀)の挑戦を振り切った。昨秋から率いる正木昌宣監督(42)が、黒田剛前監督(53=現J1町田ゼルビア監督)から引き継いで実質1年目に、チームを再び日本一へ返り咲かせた。

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サッカーを始めたきっかけが、この選手権だった。小学4年まで野球をしていた正木少年は92年1月8日の第70回大会決勝、帝京(東京)と四日市中央工(三重)が延長2-2で両校優勝した試合に心を動かされた。「将来は指導者に」と10歳にして思い「ずっと描いていた。ただ、指導をするだけではなくて、選手権に出て勝ちたい」と。その春、サッカーに転向した。

中学時代には現J2山口MF山瀬功治らとともに約2年間のブラジル留学。帰国して青森山田高に進学した。黒田前監督の下で10番を背負って全国も経験し、仙台大に進学。卒業後の04年に青森山田へ戻り、指導者の夢も母校でかなえた。

コーチとして19年、黒田氏の隣で、後ろで支えてきた。恩師がよく口にしていた「高校サッカーの指導者は人間教育のほうがウエートを占めている。時には7、8割生徒指導の方に重点を置く」という言葉を大事に生徒と向き合ってきた。生徒とのコミュニケーションを重視し、今大会では「選手1人1人、個性が違う」とそれぞれの長所を生かし切った。

ただ、教えは恩師に倣ったが性格は正反対だ。昨季J2の町田で「毎日しっかり寝られることがなかった」と語る恩師に対し「自分は毎回、寝られている…」。普段からプレッシャーはあまり感じない。黒田氏のJ転身も驚きはしたが、第一声で「おめでとうございます」と言えた。

24年1月8日。サッカーを始めてから32年の時を経て、監督となって、優勝をつかんだ。ゴールのたびに力強くガッツポーズし、コーチ陣と何度も抱き合う。原点でもある選手権で、自身の成長もかみしめながら最後は感無量。「たくましくなっていく姿や勝った時に喜ぶ選手たちの姿を見ると、本当にやっていて良かったなと思う」。これからも喜ばせ、次の笑顔を目に焼きつける。【濱本神威】

◆正木昌宣(まさき・まさのり)1981年(昭56)5月22日、黒田前監督と同じ札幌市生まれ。現役時代はFWで青森山田高では1年からレギュラー。つらい練習メニューはなかったそうだが、黒田氏から言われて嫌だった言葉は「もっと走れ」。仙台大では全日本選手権にも出場した。家族は夫人と2女。休日は娘2人と遊んで心を整える。

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