青森山田が2大会ぶりの頂点に立った。決勝で近江(滋賀)を3-1で退け、通算4度目の日本一。昨年10月から率いる正木昌宣監督(42)が、黒田剛前監督(53=現J1町田)から託されて約1年3カ月後、チームを再び王座へ押し上げた。今大会は5試合で16得点3失点。偉大な前任者の後を当時のコーチが受け継ぎ、自身の色を加え、持ち前の堅守に攻撃のアイデアを植えつけた。直近7大会で5度目の決勝。常勝軍団が新たな黄金時代に入る。

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記念撮影する教え子を横目に、輪から離れた正木監督は場内ビジョンのVTRに目をやっていた。クールに見えて、涙を流した後だった。ヘッドコーチとして見た2年前の優勝は、黒田前監督を「わー泣いてる」と、ひとごとのように眺めていたが「笛がなるまで選手たちが走って戦って…。優勝より、もう彼らのプレーを見られないんだ」と思うと、頬を伝うものがあった。「監督として頂点に立てば勝手に出るんだな」と恩師の姿に自身を重ねた。

ボスが変わっても青森山田は強かった。守備では被シュート2本に抑え、前任者が築いたプレスと球際の強さは別格。同校OBの鹿島柴崎が「新国立に雪が降っている幻覚が。みんなあの雪の中で沢山走ったんだろうなぁと思わせるハードワークでした」と投稿したほどの伝統が発揮された。

一昨年の冬も昨夏も、正木氏は底にいた。監督昇格直後の選手権は8強止まりで、初のインターハイも3回戦で散った。「私の経験不足が思い切り出た。このチームを勝たせられなかった…」と沈んだ。DF山本主将は「正木さんも焦っているような感じがしました」。選手に伝わっていた。

一方で主将は「冷静にさせてくれたのも正木さん」と補う。黒田前監督がJリーグへ転じ、慕って入学した中には、がくぜんとする選手もいた。「動揺はあった」と指揮官は明かすが、コーチだった19年間、現3年を新人戦から見てきたのは、むしろ正木監督だ。「とんでもない成績を残した方からの引き継ぎは、参考になる人がいない」と自分の言葉で選手と対話した。

黒田氏はDF、自身はFW出身だったことも新たな「色」になった。磨いてきたサイド攻撃。前半から右の杉本、左の川原を起点に近江の守備を切り裂き、10番芝田も経由して福島の先制点が生まれた。精神面でも、前任者にライバル心を燃やし、遠征の傍ら町田の3試合を生観戦。向こうが勝てば「自分も負けない」とプロまで意識してきた。

先月、全国総体の借りを返す高円宮杯U-18プレミアリーグ・ファイナル制覇で「1冠」。今大会も16得点3失点で勝ち上がった。スタンドで観戦していた恩師へ、優勝後、電話で「ありがとうございました」と伝えると「おめでとう。刺激をもらえた。また頑張るわ」と言われ「私も来年また頑張ります」と返した。次は、師匠でも果たせなかった連覇を狙う。「来年の選手たちは、またゼロからのスタートなので。一緒に1つ1つ成長してタイトルを取りにいきたい」。常勝軍団の看板は黒田から正木に受け継がれ、黄金期は紡がれていく。【濱本神威】