青森山田が2大会ぶり4度目の頂点に立った。決勝で近江(滋賀)の挑戦を退けた。

青森山田の一員になるのは、必然だった。DF山本虎主将(3年)の自宅は高校から徒歩3分ほどの距離にあり、小さいころから、同校グラウンドで行われるプレミアリーグのホーム戦を1人でよく見に行っていた。

3兄弟の末っ子。青森山田ラグビー部出身の父竜治さん(46)が、青森山田に触れられる環境づくりとして、長男の大さん(23)が生まれてからおよそ3年後に今の自宅に引っ越し。環境づくりが奏功し、大さんも、次男の凛さん(20)も青森山田のサッカー部に所属した。

大さんが第97回大会の三国ケネディエブス(23=アビスパ福岡)の世代で、凛さんが第100回大会の松木玖生(20=FC東京)世代。最終的にメンバー外ではあったものの、優勝を知る代だった。

そして虎が、レギュラーとして、キャプテンとして選手権で優勝した。父竜治さんは、主将として聖地国立のピッチに立った息子の勇姿に「本当に、自分の子供なのかと思うくらい…。びっくりしています」と感極まった。

すぐ近くに青森山田がある最高の環境で育ち「このチームで最も山田の試合を見てきた」と自負する。青森山田中3年時から高校のAチームで、飛び級でプレーし、今後の青森山田を引っ張る存在として期待されてきた。

一方で、順風満帆ではなかった。2年夏のインターハイ2回戦で帝京(東京)に敗れた後、背番号10のMF芝田玲(3年)から「中学校のころの、みんなを引っ張っていたキャプテンらしくなくなった」と言われた。

「自分でもそれは分かっていた。でも、なかなかうまくいかなかった」と虎。中学校のころのような自信に満ちあふれたプレーができない。3年になってからも、紅白戦で芝田から「お前がやらないなら俺がやるぞ」と発破をかけられた。

その時があったからこそ今がある。

「チームで一番やらなくちゃと思えました。言われて良かった」

今では「みんなをまとめる力がすごくついた」と胸を張って言える。「もう1回、強い青森山田を取り戻そうと1年間を過ごしてきた」。本来の自分を取り戻し、最大の目標だった選手権を制して「すごくホッとした」と納得した。夢に見た国立で、優勝カップに満面の笑みが映り込んだ。

「虎のように強くなれ」と、父竜治さんから名付けられた。虎のように、たけだけしいプレスで相手FWを止めれば、セットプレーでは高さとバネを生かし、勇猛にゴールを狙う。今後は東洋大に進学予定だ。

「大学に行って早く試合に出たい。できれば特別指定などでプロの舞台にも早く行きたい。自分はここから」

青森山田の虎が、大学でも存在感を発揮する。【濱本神威】