6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から17日で29年がたった。当時、サッカーJリーグ・ガンバ大阪(G大阪)の現役選手として被災した和田昌裕さん(58)は、今年からJ3のツエーゲン金沢でゼネラルマネジャー(GM)に就任。その第1歩となる元日に、石川県では同じ最大震度7を観測した能登半島地震が起きた。被災地はインフラ復旧も見通せない状況が続くが、和田さんだから口にできる言葉がある。

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正月休みで神戸市内の自宅にいた和田さんは、ニュース映像を見てがくぜんとしたという。今年元日に石川県の能登地方を中心に襲った大地震は、新天地での第1歩の日だった。金沢市は震度5強、車で約1時間半の志賀町は同7を観測した。

「金沢にすぐに電話すると、スタッフは『揺れたけど大丈夫です』と。それでも被災された方のことを思うと、心が痛かった」

和田さんはG大阪のDFとして華々しい活躍をしていた95年、29歳で阪神・淡路大震災に遭った。

大阪市内の自宅で体験したことのない揺れに見舞われ、車で6時間以上をかけ、実家のある神戸市に戻った。家族は無事だったが、大きな被害を受けた。

その夏、当時JFLだった故郷の神戸へ移籍。ボランティアで交流した市民から、逆に励まされた思い出がある。プロ野球はオリックスが、イチローを中心にリーグ優勝した。

「あの時は『がんばろう神戸』を合言葉に、実際にオリックスが優勝し、僕らもみなさんに勝利を届けたい思いで、翌年にJFL準優勝でJリーグに昇格できた。スポーツの持つ力を実感できた」

金沢は今季、J2から降格し、9年ぶりとなるJ3が舞台。チーム内には輪島市で被災した祖父母を自宅に受け入れ、練習に励む選手もいるという。

1年でのJ2復帰へ、和田さんは「僕らにできることは現実と向き合い、現実を背負い、金沢を強いクラブにすること。J2に昇格させたい」。29年前の思いを合わせ、2月下旬の開幕に向かう。【横田和幸】

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◆和田昌裕(わだ・まさひろ)1965年(昭40)1月21日、神戸市生まれ。御影高、順大を経てG大阪の前身松下電器入り。95年途中で神戸に移籍し、98年で現役引退。J1通算49試合2得点。90年ダイナスティ杯で日本代表入り。神戸、京都などで監督を歴任。17年に当時J2金沢の強化アカデミー本部長、20年にG大阪の強化責任者、24年からGMで金沢に復帰。177センチ、69キロ。