22年ワールドカップ(W杯)カタール大会で優勝したアルゼンチン代表の主将で、仏王者パリ・サンジェルマンを退団するリオネル・メッシ(35)が、米MLSインテル・マイアミに加入することを発表した。

メッシは7日、バルセロナの地元メディアであるスポルト紙とムンド・デポルティボ紙のインタビューに登場。「マイアミに行くことを決断した」と明らかにした。

メッシはインタビューの中で「ヨーロッパを離れることを決めた。他の欧州クラブからオファーがあったのは事実だが、ヨーロッパではバルセロナに戻ることだけを考えていたので、それについては考えもしなかった」

「ワールドカップで優勝し、バルサに戻れなくなった後、MLSに行って、違うやり方でサッカー人生を生き、日常生活をもっと楽しむ時が来た」などと説明した。

メッシは今夏のバルセロナ復帰を復帰を熱望していた。だがクラブの経営状況からそれは叶わなかった。

メッシは古巣復帰を断念したことについて「(バルサからパリSGへ移籍した時と)また同じことが起こるのではないかと心配だった。(バルサ復帰を)本当に望んでいたし、戻れることにとても興奮していたけど、前回所属時のことと退団を経験した後、再び同じ状況にはなりたくなかった」と説明した。バルセロナは21年にメッシを引き留めることができず、それがメッシがパリSGと契約した際の涙の記者会見につながった。

メッシは、バルセロナが自分と契約するために選手を放出したり、選手に給与の見直しを迫っていることについても「選手を売却したり、選手の給料を下げたりしなければならなかったと聞いたが、実際のところ、私はそのような状況は望んでいなかったし、関わりたくもなかった」と話した。

メッシは米国でのライフスタイルや、サッカーの枠を超えた大手ブランドとの契約など、さまざまな理由から最終的にMLSインテル・マイアミを選択した。

メッシは親友でもあるバルセロナのシャビ監督とはクラブ復帰について話し合ったが、ラポルタ会長とは「ほとんど話し合わず、せいぜい1、2回」だったという。

メッシは「(会長とは)契約について話すことすらできなかった。(復帰の)提案はされたが、正式な、書面で署名されたオファーはなかった。まだ何もなく、実現するかどうかも分からなかった」とバルセロナからは正式なオファーがなかったことを明かした。

またサウジアラビア1部アルヒラルからの2年12億ユーロ(約1740億円)ともいわれる巨額オファーを拒否したことについては「もしお金の問題だったら、サウジアラビアか他の場所に行っていただろう」とし、今回のマイアミ行きの決断がお金だけの問題ではなかったと強調した。