中山竹通(27=ダイエー)が快走、2時間8分18秒のシーズン世界最高記録でソウル五輪代表の一番切符をつかんだ。14・5キロで単独トップに立つと、5キロ14分台のハイペースを維持。終盤の冷雨で世界記録(2時間7分12秒)更新はならなかったが、大会タイ記録で3年ぶり2度目の優勝(通算9戦4勝)を飾った。8分台4回目の安定した実力は、目下金メダルへの最短と言っていい。2位の新宅雅也(29=エスビー食品)は瀬古の代理を見事果たし、2時間10分34秒で五輪代表の内示を受けたが、旭化成勢は谷口浩美(27)の6位が最高と惨敗。宗猛(34)は27キロで棄権した。

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中山の吐く息が白くなった。快調に世界最高記録を目指して飛ばし続けてきたが、35キロ過ぎて、強く冷たい雨が行く手を阻んだ。「とにかく記録を狙ってはいたんです。でも、35キロまでは2時間6分台もいけそうだとは思ったんですけど、40キロ過ぎてもうあきらめました」。ゴール後は、淡々とレースを振り返った。優勝するのは当然といった顔つきでもあった。むろん、ソウル五輪代表の座も。

「最初は集団の中で落ち着いて走ろうともした。けれど、やはり自分は一人の方がいいと思って、フィーリングで飛び出した」と告白した。だれが見ても、それがベストな走りだった。瀬古の欠場を聞いて以来、「ぶっち切って勝ってやる」と親しい仲間に言っていた言葉通りの展開になった。「本当は瀬古さんと一緒に走りたかった気持ちはあります」とレース後言った通り、見えない瀬古を意識していた。

5キロ14分35秒、14分30秒、14分35秒といった常識外れのスプリットタイムは、歴史に残る世界最高記録を出すことで、目に見えぬライバルを威圧することを狙ったものだ。「瀬古さんのことは別になんとも思っていません」と言いながら、瀬古に対する「このペースでついてこられますか?」という挑戦状でもあった。瀬古の代役・新宅も、日本最高記録の児玉や伊藤らも「これは非常識なペース」と考え、中山追走に踏み切るチャンスを逃してしまった。

途中、白い手袋でしきりに顔の汗をぬぐった。と同時に手鼻をかんでいた。呼吸をしやすくするための器用な手つきだった。それ以上に、中山は42・195キロを、給水を全くしなかった。「メリー・クリスマス」と書いた旗をスペシャルドリンクの上に目印としてつけておいていたが、湿度80%以上という天候もあって、全く取るそぶりさえ見せなかった。レース後のドーピング検査で、尿が1時間も出なかったほどだ。

2月の東京国際マラソンで給水し終わった容器を後ろにほうり投げ、しっ責された。集団になった場合、給水に時間を費やす危険もある。水なしで走り切れるよう、夏からトレーニングしていた。気分屋というウワサもあるが、この日の無給水はち密な勝利への計算と、東京での非難に対する、中山らしい意地のしっぺ返し(?)でもあった。

まず飛び出したサイモンを15キロ手前で捕らえ、あとは独走。旭化成の児玉らは10キロで振り落とされ、20キロ地点で300メートル、約1分差をつけた。1分間190歩から中盤182歩、終盤180歩に落ちたが、強さは目を見張らせた。

佐藤監督は「2時間6分台は出ると思いました。条件が良ければ出ていたでしょう。これからは35キロから、特に40キロ過ぎてのラストが課題でしょう。瀬古君と走らせてやりたかったが、今日の走りなら、瀬古君といえどもついてこられなかったのと違いますか。今度どこで走るのかわからないが、どんな走りを見せてくれるか楽しみです」と、皮肉と自信たっぷりだった。

快調に飛ばした中山が一度だけ、冷やっとした場面があった。残り5キロ、疲れがピークになってきたとき、ジャンパー姿の男が沿道の警備のスキをついて握手を求めにきた。時速20キロ近くで走っている中山は一瞬ギョッとしたが、左手でハンドオフして難を逃れた。「左腕が痛いですよ」。

「ソウル五輪ではメダルの可能性は低いですよ。ダメと言った方が気が楽です」とも言った。日本では勝てたが、世界では簡単に勝てるほど甘くないことを知っているからだ。「もう少し、頭が良ければ……」と周りを笑わせたが、2時間8分台を4回マークした選手は他にキャステラ(30=豪州)しかいない。今、中山はソウルを目指す世界のランナーの頂点に立った。【黒木】

 

◆福岡国際マラソン成績上位

(1)中山竹通(ダイエー)2時間8分18秒 (2)新宅雅也(エスビー食品)2時間10分34秒 (3)ペーター(東ドイツ)2時間11分22秒 (4)工藤一良(日産)2時間11分36秒 (5)デンシモ(エチオピア)2時間11分59秒 (6)谷口浩美(旭化成)2時間12分14秒 (7)坂口泰(エスビー食品)2時間12分25秒 (8)トルスチコフ(ソ連)2時間12分31秒

 

◆陸連40分協議、中山、新宅に代表内示

日本陸連は大会終了後の午後2時35分から、平和台陸上競技場グラウンド下にある小部屋で緊急強化委員会を開き、小掛照二委員長、関岡康雄(筑波大教)、大串啓二(旭化成)の両副委員長と、長距離・マラソン担当の沢木啓祐氏(順大教)の4人が五輪代表を約40分間協議した。

午後3時15分過ぎ、小掛委員長が「1、2位の中山君、新宅君の二人を強化委員会としてソウル五輪代表に内示した。栄養費を倍の10万円とし、体協の五輪強化候補選手(月30万円支給)は、児玉から中山に交代します。最終決定は2月東京、3月びわ湖を見てから、陸連の理事会、評議員会で正式承認を受ける」と発表した。

3人目の代表については「工藤選手は有力ではあるが、瀬古君の走った内容を見て3人目は決める考えだ」と語った。

瀬古もしくは他の選手がこの第3の代表となる「条件」は明示されなかったが、小掛氏は「新宅は、今日の悪条件の分、1分30秒は差し引いていい」とも話しており、この線からみると「優勝、しかも2時間8分台」がいずれにせよ最低基準で、これに実績が加味される。

 

◆そのとき瀬古は…

左足首ヒ骨骨折を理由に欠場した「もう一人の主役」瀬古は、報道陣を避けるためか、この日姿をくらました。スタートの約1時間前の午前11時には、約10人の報道陣が東京・千駄ケ谷の瀬古のマンション前に詰めかけたが、当の本人は、前夜から家族とともに家をあけたまま。中山のブッチギリ優勝が決まった瞬間には、出版社のカメラマンを含め報道陣は30人にと膨れあがった。瀬古本人からはエスビー食品スポーツ局長小林氏から短いコメントが発表されただけ。マンション前には午後9時を過ぎても8台の報道陣の車が取り囲んでいた。

 

◆瀬古のコメント

雨の中のレースで選手の皆さまご苦労さまでした。中山君、おめでとうございます。前半が素晴らしいタイムなのには驚いたし、後半は疲れが出て大変なレースだったと思う。マラソンがいかに難しいかということで、いい勉強をさせてもらいました。自分も早く足を治して走りたいと思います。

 

◆日本人3位の工藤は「複雑です」

「タイムには不満はありますが、全力で走れました。あとは陸連にまかせます」。日本人勢で3位(通算4位)に入った工藤一良(26=日産自動車)は、複雑な表情をみせた。8月からこの大会に照準を合わせ、駅伝もトラック競技も自粛。「これで失敗したら(選手生命も)おしまい」という気持ちで臨んだレースだった。「いつもは折り返し過ぎからダレるのが僕の欠点。でも今回は、作戦通りにやれました」。35キロからスパートして、中山、新宅に続き、日本人第3位でゴールした。しかし、“瀬古抜き”のレースだけに、陸連からは「ソウル内定」の声は、当然かからない。「瀬古さんは実績もあるし……。僕には何ともいえません。ただ、(ソウルへ)選ばれるとしたら力いっぱいやるだけです」。暗に来年の東京、びわ湖には出場しないこともほのめかした。中山、新宅の内定。“瀬古の亡霊”に揺れる「第3の男」は、最後まで笑顔は見せなかった。