瀬古利彦(31=エスビー食品)がソウル五輪マラソン代表の座へ近づいた。ソウル再挑戦を狙った谷口浩美(28=旭化成)は前半、積極的にレースを引っ張ったが、30キロ過ぎで遅れだし2時間13分16秒で9位(日本人3位)となり夢はついえた。ラスト1キロでアベベ・メコネン(24=エチオピア)がイカンガー(30=タンザニア)に競り勝ち2時間8分33秒で初優勝した。ド・キャステラ(30=豪州)は2時間8分49秒で4位。日本人最高は仙内勇(27=ダイエー)が2時間10分59秒で6位だった。谷口が消え、びわ湖(3月13日)を狙う瀬古が、が然有利となった。

   ◇   ◇   ◇

谷口が果敢に夢に向かって挑戦した。それも、スタートし国立競技場を出るやトップに立った。「ペースが遅すぎたから。別にオーバーペースではなかった」と振り返ったが、自分の体調を確かめるためにかけをしたのだ。朝食にロールパン1個とオートミール1杯しかとれず、しかも腹痛で薬も服用していた。「どれだけ走れるか早いうちに確認したかった」。遅いペースに飛び出した形だったが、5キロ過ぎでイカンガーらの集団に吸収され、好位置をキープしたかに見えた。

5キロごとのラップを15分台の前半というよどみない平均ペースで14人のトップ集団が形成された。もちろん谷口もいた。30キロまでは「2時間8分台で優勝」というペースだった。だが、イカンガー、キャステラらがペースを上げた瞬間、彼らの背中が遠くなりだした。「ペースが上がったことは分かったし、ついていける自信はあった。でも、なんか、気持ちの中でちゅうちょしてしまったんです」。ゴール後、宗猛コーチ(35)に抱えられるようにトイレへ一直線に駆け込んだ。腹具合が悪く、気持ちが緩んだ分、夢が遠のき、あっけなく消えてしまった。

国立競技場の選手招集所の前に置かれたテレビで見ていた宗茂は、「30キロまでは大丈夫と思っていた。最後のスタミナが心配だったが、その不安が的中してしまいました。これで3番目の切符は瀬古君のものでしょう」と淡々と語った。宗猛も「谷口はじっくりつくっていくタイプだったので……。素質もそれほどあるわけではないし……。やはり、瀬古君がびわ湖で2時間10分を切れば決まるでしょう」。

瀬古は11日から宗兄弟ら旭化成の本拠地宮崎で、今年に入って3度目の走り込み合宿をしている。大淀川近くにある宿舎・中島旅館でライバル勢の走りをテレビ観戦した後、後輩の谷口伴之(26)と一緒に練習に飛び出した。雨の中、気温6度と低かったが、瀬古の心の中は安心感があったはずだ。谷口が落ち、仙内が日本人最高の6位で2時間10分59秒は、瀬古にとっては直接的なプレッシャーとはならないからだ。

「僕は人のことをとやかく言える立場にないが、谷口君は調子は良かったのだと思うが、マラソンは走ってみないと分からない種目と改めて感じた。びわ湖ではベストを尽くしたい」。12日にはびわ湖を想定して40キロを走り込んでいる。「東京で走れないことはなかったけど、納得のいく練習を積みたかったから」と笑みもこぼれた。1月の沖縄・西表島(いりおもてじま)での2回の合宿と今回の宮崎合宿と、復活へは順調だ。親しい友人には「調子はいい。自己記録(2時間8分27秒)更新は狙える」と話している。

陸連の小掛照二強化委員長は有力選手のゴールを見届けた後に口を開いた。「瀬古君は精神的に楽になったことでしょう。びわ湖ではいい記録を出して代表になれるよう頑張ってほしい。元気になったことをみんなに示してほしい。まず2ケタ(2時間10分台)はありえないでしょう」と、2時間9分台で走れば3番目の切符は用意されているような口ぶりでもあった。沢木啓祐マラソン部長も「タイム設定はできないが、だれもが納得する力強い勝ち方をしてほしい」と、瀬古にラブコールを送った。

実質的には第3の男の座の近くにいる福岡4位(日本人3位)の工藤一良(26=日産自動車)は、神奈川県横浜市新子安の合宿所でテレビ観戦した後、ぶらっと外出した。日産陸上部の白水監督は唐津10マイルロードに若倉ら選手を率いて出掛けていたが、唐津市の実家で「まあ、陸連が瀬古君の救済を考えているんですから、工藤がいくら近い位置にいるといっても、駄目でしょう。工藤自身も達観していますよ。工藤の両親なんかも“瀬古さんの方が実績が上ですから”といって、なんら執着していないですよ」と電話口で語った。

瀬古が自分でまいたタネを自分で刈る展開になってきたが、だからこそ、だれもが納得する強さで勝つことが、短期間で挑戦して散っていった谷口、そして日の当たらぬ立場で待っている工藤に対する思いやりだろう。精神的に楽になったことは事実だが、半面大きなプレッシャーもあり「夜も眠れないこともある」という瀬古自身にとって最大のマラソンにもなる。【黒木】