この大会の女子マラソンの代表をめぐる争いは社会現象にもなり、大きく注目された。選考レースは91年8月北海道マラソン、世界陸上東京大会、同年11月の東京国際女子、92年1月大阪国際女子、同3月の名古屋国際女子の5大会。

北海道マラソンでの日本人最高は3位の岩下里美(沖電気宮崎)で、タイムは2時間35分1秒と平凡なものだった。続く世界陸上東京大会では山下佐知子(京セラ)が自己ベストの2時間29秒57秒のタイムで2位に入り、日本人最高位でメダル獲得という条件をクリア、代表内定を決めた。優勝したワンダ・パンフィル(ポーランド)には4秒及ばなかったが、ソウル五輪銅メダルのカトリン・ドーレ(ドイツ=3位)には13秒先着する堂々たる内容だった。4位には有森裕子(リクルート)が入ったが、有力候補となったものの代表内定には至らなかった。

11月の東京国際女子では谷川真理(資生堂)が2時間31分27秒で優勝した。後にバルセロナ五輪を優勝するワレンティナ・エゴロワ(ロシア)に25秒差をつける優勝で、一躍代表候補に浮上した。

山下、有森、谷川の3人が有力で、ソウル五輪の1万メートルに出場した松野明美(ニコニコドー)がどう絡むか、という状況で迎えた年明けの大阪国際女子は大波乱となる。主役は初マラソンの一般参加の20歳・小鴨由水(ダイハツ)。ノーマークだった小鴨は、ダイハツの同僚・浅利純子のペースメーカー的役割を期待されていた。171センチの堂々とした体格で終始トップグループを走り、2時間26分26秒のタイムで優勝。これは当時の世界10位に相当する記録で、初マラソン世界最高(2時間27分2秒)を塗り替え、有森裕子の日本最高(2時間28分1秒)をも更新した。初めて受けたインタビューでは「何が何だか分かりません。優勝どころか、オリンピックだなんて」とシンデレラストーリーにただ戸惑っている様子だった。2位が松野、3位カトリン・ドーレ(ドイツ)、6位浅利純子(ダイハツ)、8位が北海道マラソンで日本人最先着の岩下、10位が世界陸上東京大会で12位の荒木久美(京セラ)と、強豪を下しての優勝だった。

この優勝で小鴨の代表入りがかなり有望となり、松野明美も2時間27分2秒と好タイムの2位で有力候補となった。

残る選考レースは名古屋国際女子。小鴨、松野と強力な候補の出現に、東京国際女子を制した谷川が再びエントリーしてきた。谷川の優勝タイムは2時間31分台で小鴨、松野に大きく劣っていたため、そのままでは代表は難しいという判断。レース前の会見では「5選考のうち2大会で優勝すれば、何とか選考ライン上には乗れる。そう思ってチャンスにかけます」と意欲を語った。だが、結果は2時間31分9秒で、大江光子(日本生命)に5秒遅れての2位。この時点で谷川の代表の可能性はほぼ消滅した。

山下が内定で、残る2枠を有森、小鴨、松野の3人で争うことになった。大阪国際女子で優勝した小鴨はほぼ当確で、実質は有森と松野の争いと見られた。世界陸上4位の有森と大阪国際女子2位の松野。暑さに強いという点では有森に分があると思われ、陸連もその方向へ傾いているという話が漏れてきたこともあったのか、代表が決まる3月28日の2日前の26日、松野は故郷の熊本で異例の記者会見を開き「出たらメダルを取れると思ってますので、選んでください」と強烈に訴えた。

だが、陸連が出した結果は有森だった。タイムを単純に比較すれば松野だが、有森の暑さへの強さ、レースでの粘り、世界陸上という大舞台での好成績(4位)は、小鴨に敗れた松野を上回るという結論に達した。今ではテレビなどで明るいキャラクターで愛されている松野だが、この時のショックは大きく、ニコニコドーの岡田監督と小山部長が結果を伝えると涙がほおを伝わり、「五輪出場は間違いないと思っていたのに、なぜなんですか。一生懸命やってきたのに、なぜなんですか」と迫ったという。この陸連の決定に対して世間では批判も起き、松野は一躍悲劇のヒロインとなった。

松野は1万メートルに選ばれる可能性もあることから補欠にも選ばれず、谷川が補欠に選出された。

本番では有森が銀メダルを獲得し、女子の陸上競技としては1928年の人見絹枝(800メートル)以来64年ぶりのメダル獲得という快挙を達成した。五輪には出場しなかった松野はその時、北海道マラソンに備えて北海道で合宿中で、有森の銀メダルのニュースを聞かされると「すごいですね、本当にすごい。一緒に合宿しましたし、がんばってほしかった」とコメントした。実は松野は初マラソンの大阪国際女子の前に有森裕子と合宿し、給水、集団の位置取りなど教えてもらっていた。激しく代表の座を争った2人だが、個人的には比較的親しい関係にあり、有森が五輪に向けて出発する前、人を通じて「がんばってください」と伝えていたという。

山下は4位、体調を崩していた小鴨は29位と惨敗した。

(年齢、所属は当時)