「ゴン攻め/ビッタビタ」。今年の新語・流行語大賞でトップ10に選ばれた言葉だ。東京オリンピックで実施されたスケートボードのテレビ中継で解説者が発したもので、同大会では唯一のトップ10入りだった。


東京五輪 スケートボード女子ストリート予選に臨む西矢椛(21年7月26日)
東京五輪 スケートボード女子ストリート予選に臨む西矢椛(21年7月26日)

認知されたスケボー

これまでオリンピックの名言、名実況といえば、陸上や水泳、柔道、体操など「メイン競技」ばかりだった。そこに初めて実施されたスケボーが入った。新しい競技が、広く一般の人にも認知された証でもある。

もちろん、日本勢の活躍は大きかった。男女4種目中3種目で金メダル獲得。女子ストリートの西矢椛は、13歳で日本史上最年少の金メダリストになった。メディアが大きく報じ、競技としても浸透した。


東京五輪 挑戦し続けた岡本碧優(右から2人目)を他国の選手たちが笑顔で肩車する(21年8月4日)
東京五輪 挑戦し続けた岡本碧優(右から2人目)を他国の選手たちが笑顔で肩車する(21年8月4日)

「国」よりも「個」

新しい競技の新しい価値観も受け入れられた。選手たちの服装は自由で、ポケットにスマホ、耳にはイヤホン。「国」よりも選手の「個」が目立った。

他の選手が派手なトリックに成功すれば、ボードをたたいて大喝采。ライバルの演技を心から楽しみ、互いにたたえあった。

女子パーク決勝では金メダル候補の岡本碧優が3本のランとも失敗。ミスを恐れずに最後まで挑戦し続けた14歳はコースで泣き崩れたが、他の国の選手たちは笑顔で迎えて肩車した。

国や順位を超えて選手同士がたたえあい、勝ち負けだけにとらわれることなく自由に自分を表現する。これまでの競技にはなかった、過去のオリンピックでは見ることができなかった「カルチャー」は、新鮮な驚きとともに広まった。

北京五輪で金メダルが期待される鬼塚雅(18年2月19日)
北京五輪で金メダルが期待される鬼塚雅(18年2月19日)

スケボーからスノボへ

スケボーの東京オリンピックでの成功は、次に行われる冬季オリンピック、北京大会への追い風になる。同じ「カルチャー」を持つスノーボードが行われるからだ。日本人のスノーボードに対する理解は、これまでのオリンピック以上に深くなったはずだ。

北京オリンピックでは日本の有力競技という点でも注目される。米データ会社のグレースノートが発表した最新の予想では、日本の金メダルは3個。うち2つが男子ハーフパイプの戸塚優斗と女子ビッグエアの鬼塚雅のスノーボード勢だ。

もう1つの金メダルが予想された高梨沙羅らのスキー・ジャンプ陣、羽生結弦の3連覇がかかるフィギュア勢、小平奈緒と高木美帆が引っ張るスピードスケート勢、メダルラッシュが期待される北京大会だが、その中でもスノーボードは特に有力というわけだ。

東京五輪で華麗なライディングを見せるサーフィン五十嵐カノア(21年7月27日)。スノーボードとスケボーは、サーフィンと合わせ「3S」と呼ばれる
東京五輪で華麗なライディングを見せるサーフィン五十嵐カノア(21年7月27日)。スノーボードとスケボーは、サーフィンと合わせ「3S」と呼ばれる

価値観共通の3S

スノーボードとスケボーは、サーフィンと合わせて「3S」と呼ばれる。いわゆる「横乗り系」で、それぞれの関係は深い。起源はサーフィン。波がなくても街でできるスケボーが始まり、雪の上でスノーボードが生まれた。2つは、サーフィンから生まれた兄弟ともいえる。

ともに重視されるのは「独自性」や「創造性」。誰もやらない(できない)トリックをいかに自分らしく、かっこよく決めるか。「速さ」や「高さ」や「強さ」だけを競わないところで、価値観は共通する。

長野五輪 スノーボード女子ハーフパイプ予選で20位に終わった吉川由里(98年2月12日)
長野五輪 スノーボード女子ハーフパイプ予選で20位に終わった吉川由里(98年2月12日)

見切り発車の長野五輪

競技が誕生したのはスケボーの方が早かったと言われているが、オリンピックではスノーボードの方がお兄さんだ。初めて実施されたのはスケボーより20年以上前の1998年長野大会。しかし、そのデビューは苦難の連続で、決して「幸せ」ではなかった。

国際オリンピック委員会(IOC)は当初、2002年ソルトレークシティー大会からスノボを実施する方針だったという。ところが、若者のオリンピック離れが特に冬季大会で顕著で、前倒しでの実施を決めた。十分な準備もなく、長野大会で見切り発車したのだ。

オリンピック実施にあたって、IOCは国際スキー連盟(FIS)に競技の統括を任せた。国際スノーボード連盟(ISF)が未承認団体だったこともあり、その頭越しにスノーボードとは関係がなかったFISを指名したのだ。

これには、多くのトップ選手が激怒。ボイコットする選手が続出した。もともと、国を代表してメダルを争うことに価値を求めていなかったスノーボードだから、選手たちが「反オリンピック」を叫ぶのも自然なことだった。

多くの問題を抱えながら実施した長野大会では、男子大回転金メダリストの大麻使用が発覚。当時禁止薬物リストになかったためにメダルはく奪にはならなかったが、汚点を残す「デビュー」になってしまった。

とはいえ、競技としての人気は高かった。派手でテレビ映えもした。特に「スノボ世代」と言われる若者の人気は抜群だった。

バンクーバー五輪 スノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得したショーン・ホワイト(10年02月17日)
バンクーバー五輪 スノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得したショーン・ホワイト(10年02月17日)

11種目に急成長もくすぶる火種

男女ハーフパイプと大回転の計4種目で始まったスノーボード競技だが、スノーボードクロス、スロープスタイル、ビッグエアと次々と種目を増やし北京大会では混合スノーボードクロス団体を加えた11種目にまで急成長した。

もっとも、国際スキー連盟(FIS)と国際スノーボード連盟(ISF)の対立は続いた。板挟みにあって選手は苦しんだ。「ビジネス」と割り切ったショーン・ホワイトの活躍でオリンピック競技として定着したとされているが、今も火種はくすぶっている。

スケボーとサーフィンのオリンピック採用が遅れたのは、夏季大会が肥大化して冬季大会のように新たな競技を加える余裕がなかったから。さらにいえば、スノーボードの苦い経験からIOCが採用に慎重になったからかもしれない。

実は、IOCには早期にスケボーとサーフィンを加える考えもあった。国際サーフィン連盟(ISA)のアギーレ会長は「IOCとの話し合いは2000年から」という。しかし、ISAはアマチュアの団体でプロ選手のツアーはワールドサーフリーグ(WSL)が管轄している。トップ選手の参加に、調整が必要だった。

スケボーも同じ。IOCはスケボーとは関係のない国際ローラースポーツ連盟(FIRS=現ワールドスケート)に運営を任せようとしたが、実際に多くの大会に関わる国際スケートボード連盟(ISF)は黙ってはいなかった。「スノーボードの二の舞になる」と危惧する関係者もいた。

国際オリンピック委員会(IOC)トーマス・バッハ会長(20年11月16日)
国際オリンピック委員会(IOC)トーマス・バッハ会長(20年11月16日)

スノボから学んだIOC

スポーツ、特に新しいスポーツに対する理解が乏しく、独善的な動きも目立つIOCも、さすがに学習したのだろう。強行は、選手の反発を買うだけ。サーフィンを国際サーフィン連盟(ISA)に、スケボーを国際ローラースポーツ連盟(FIRS)に託しながらも、プロ団体と協力して競技運営することを求めた。

サーフィンもスケボーも既存の団体と協力体制を築いて(完全ではないが)東京大会を迎えた。トップ選手も参加し、運営もうまくいった。スノーボードの轍(てつ)は踏まずにすんだようだ。

新しいスポーツ、中でも「3S」は「やんちゃな若者の遊び」として、時にネガティブなイメージで見られてきた。街中で乗り回す若者が器物を破損し、騒音をまき散らす。パークが少ないなど理由はあるが、イメージはよくなかった。「権力」に反発して自由を求める姿は、一般的には受け入れがたかった。

東京五輪 スケートボード女子パークで銀メダルを獲得した開心那(左)。中央は金メダルの四十住さくら、右は銅メダルのブラウン(21年8月4日)
東京五輪 スケートボード女子パークで銀メダルを獲得した開心那(左)。中央は金メダルの四十住さくら、右は銅メダルのブラウン(21年8月4日)

人と違うこと

それが、東京オリンピックで変わった。日本だけでなく、世界も「横乗り系」をスポーツとして認知した。「いつも警察に追われるスケーターが、(大会で)警察に守ってもらった」と驚く関係者までいた。その変容は、北京大会にもポジティブな影響を与える。

人々の価値観が変わってきたことも大きい。東京大会は「多様性」をテーマに掲げてきた。同じオリンピックでも、競技によって、選手によって、その価値は違う。勝ち負けだけにこだわらず、もっと自由に、もっと楽しく。それが、ストレートに受け入れられる時代になった。

競技でも、カルチャーとしても「人と違うこと」を大切にするのが「3S」の特徴。選手団の服装の乱れが大問題になったこともあったが、今ならもう少し寛容に選手の個性が認められるのかもしれない。

平昌五輪 スノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢(18年2月14日)。「二刀流」に挑んだスケボーで東京五輪出場を果たし、北京五輪に臨む
平昌五輪 スノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢(18年2月14日)。「二刀流」に挑んだスケボーで東京五輪出場を果たし、北京五輪に臨む

平野歩夢の「二刀流」への挑戦

スノーボードのHPでオリンピック連続銀メダルの平野歩夢は、板を乗り換えてスケボーに挑戦。東京大会で冬夏オリンピック出場を果たした。そして、休む間もなく雪に戻り、北京大会を目指す。

「誰もやらないことをやりたい」という「二刀流」への挑戦。スノーボードでの金メダル獲得だけを考えたら、リスクは決して小さくない。しかも、東京大会が1年延期したため、北京への準備期間はわずか半年になってしまった。

「スノーボードに専念した方がいい」と反対する声が出てもおかしくない。それでも、その挑戦はポジティブに受け止められた。あえて苦難の道を選ぶ平野の挑戦は称賛を浴びた。

スケボーで広まった「国や順位よりも大切なものがある」という考えでスノーボードを見れば、今までの冬季大会とは違う価値が見えてくる。競技の根っこにある「カルチャー」を感じることもできるはずだ。

東京から北京へ、遅れてオリンピック競技となったスケボーのおかげで。スノーボードはもっとおもしろくなる。【荻島弘一】