北京冬季オリンピックが閉幕した。たった2週間しか行われないオリンピックだが、こんなにもさまざまなことが凝縮された時間もなかなかないだろう。

TEAM JAPANとしては、”いい成績”を残せたと思う。メダルは金3、銀6、銅9の計18個だった。前回の平昌大会の13個を上回っている。

この結果の背景には、スポーツ基本法の施行もあるし、エリートスポーツ政策における研究も重ねられている。「国際的なトレンドは明確であり、わずかな例外を除いて各国の競技力向上に費やす予算が拡充傾向にある」と2008年の文献にも記載がある。さまざまな要素により、このエリートスポーツは時代とともに、変化しているのだ。

以前はメダルの数でしかオリンピックのアウトカムを計れていなかった印象も、少しずつ変化していることを感じる。IOCが報道関係者に対して「スポーツにおけるジェンダー平等、公平でインクルーシブな描写のための表象ガイドライン」を配布しているという背景もあるのかと推測するが、オリンピック報道は確かに変化してきている。

昨年の東京2020大会でも数多くの名場面があった。印象に残っているのがスケートボード。競技の結果ではなく、難度の高い技にチャレンジしたことを他の選手がリスペクトするというシーンだ。メディアを通してそういった「文化」に触れ、感動し、新たなエリートスポーツの価値に気が付いていったのも記憶に新しい。

今回の北京大会でもよく似たシーンがあった。スノーボード女子ビッグエアでは村瀬心椛選手が銅メダルを獲得したことも素晴らしかったが、海外のメディアでも数多く取り上げられたのが、岩渕麗楽選手の「トリプルアンダーフリップ(後方3回宙返り)」という大技へのチャレンジだった。スノーボードの世界では、時には優勝やメダルよりも、個々のライダーが見せる新しいトリックの方が感動を呼ぶことがある。そんな報道もあった。

スノーボードビッグエア女子決勝を終えた岩渕は選手たちから熱烈な祝福を受ける
スノーボードビッグエア女子決勝を終えた岩渕は選手たちから熱烈な祝福を受ける

私自身、競泳という競技出身ということもあり、「オリンピックこそ最高の舞台」だった。それは幼少期から根付いているものだ。「全ての競技者が真剣に取り組んできている」とても不思議な空気が流れるのが、オリンピックでもあるのかもしれない。

スキージャンプのノーマルヒルで金メダル、ラージヒルで銀メダルを獲得した小林陵侑選手が言った「僕が魔物だったのかもしれない」という言葉も印象的だった。卓越することに絶え間ない努力を重ねて年月を費やしてきたことを背景に感じる。

カーリング女子で銀メダルを獲得した「ロコ・ソラーレ」は“ステイポジティブ”をチームのテーマとして戦い、多くの日本人の心を動かした。平野歩夢選手の「怒りとともに集中できた」という言葉は印象的で、最終ランでの金メダル獲得には歓喜した。ノルディック複合の個人ラージヒルで銅メダル、団体でも銅メダルを獲得した渡部暁斗選手は「コロナになって、スポーツはいらないものなのではないか。自分が1つの競技をがんばる意味はなんだろう」と東京大会を見ていて感じていたという記事も読んだ。

2021年、多くのアスリートは自身の人生を振り返ったと思うし、今回もまたそうしている選手は少なくないだろう。素晴らしいアスリートたちの頑張りを見て、言葉を聞いて、私たちは何を得たのだろうか。それは計り知れない社会心理ベネフィット(幸せ、誇りなど)であることは確かだ。

アスリートたちを取り巻く環境もめまぐるしく変化し、多様性がうたわれ、インテグリティ(誠実、高潔)が重要といわれている。いまが過渡期であることは間違いない。2030年までのゴールが定められている「SDGs」。スポーツには多くの社会的課題を解決することが求められている、と言えるだろう。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)