夏が来た。高校野球地方大会が各地で続々開幕。激戦区・神奈川大会は181校が参加する。1チーム20人に対し、県内の野球部員数は約7000人。夏に背番号がある球児は半数程度だ。強豪・横浜隼人では部員121人のうち、3年生男子は44人。壁は高い。厳しい練習を乗り越えた最後に、現実が待つ。メンバーに選ばれるか、それとも。当落線上の機微に迫った。


横浜商大高との定期戦、横浜隼人のプロ注目左腕・佐藤はベンチで感極まった様子
横浜商大高との定期戦、横浜隼人のプロ注目左腕・佐藤はベンチで感極まった様子

監督の一番つらい仕事

底抜けに明るく前向きな水谷哲也監督(54)が、珍しく肩を落とす。「一番つらい仕事。これだけは本当にしんどいよ…」。121人の名簿を眺め、しばし固まる。夏の背番号は20枚限り。6月19日。今年も決断の時が迫っていた。

背番号発表前の儀式がある。6月27日、横浜商大高との定期戦が行われた。今年で20年目。今や各地で夏前に行われる“引退試合”の先駆けとされる。今年は背番号の保証がない3年生30人が、夜の横浜スタジアムのフィールドに立った。

「10年20年とたてば、ベンチに入ったかどうかなんて小さなこと。高校時代に何をやってきたかが一番大事。でも『俺は野球をやってきたんだ』といえる環境を最後には作ってやりたい」。水谷監督にはそんな思いがある。徳島市立高から国士舘大と歩んだ。花形選手ではなかった。控え選手の心は痛いほど分かる。

最後の思い出を作る選手、奇跡にかけて懸命に自己PRする選手。輝く1人1人を、仲間が全力で応援する。全員が主役。メンバーから漏れた部員は、大会運営サポートなどに励む。サーティーフォー保土ケ谷球場でのグラウンド整備は、本家甲子園の阪神園芸にたとえて“隼人園芸”と呼ばれ、ファンから拍手喝采を浴びるまでになった。


ホームインした仲間を全員で出迎える3年生
ホームインした仲間を全員で出迎える3年生

何事にも一生懸命な姿が大人の心を揺さぶる。09年夏、初優勝した時もそうだった。夕方、学校での甲子園決定祝賀会。満面の笑みで優勝メンバー紹介を終えた水谷監督が最後に「後ろの3年生、起立!」とメンバー外の3年生たちを立たせた。しばしの沈黙の後、顔を上げた監督は男泣きしていた。「この子たちが、神奈川の高校野球を支えているんです…」。

背番号の有無で、教え子たちの価値は決まらない。十二分に分かっている。それでもつらい。ドアがノックされた。「全員そろいました。お願いします」と鈴木丈太主将が頭を下げる。涙の引退試合から4日後の7月1日午後4時、水谷監督は重い腰を上げた。


女子マネジャー3人も伝令でマウンドへ。内野陣と天を仰ぐ
女子マネジャー3人も伝令でマウンドへ。内野陣と天を仰ぐ

夜のハマスタに歓声が

佐藤優哉は中学時代、右の強打者としてチームの中心だった。しかし高校では1度も公式戦に縁がない。伝説を耳にした。「引退試合でホームランを打って、大逆転でベンチ入りした先輩がいる」。よし、俺も。夜のハマスタに強い金属音が響く。弾道がレフトポールに迫る。「おおっ!」と歓声が沸いた。

「あぁ…」に変わった。ファウル。距離は十分、あと5メートル右ならば。「日頃の行いが悪かったのかな」と苦笑いするも、四球は選んだ。ベンチに戻ると水谷監督の近くに陣取り、大声を出し続けた。「最後までメンバー入りを諦めたくない」。結局、背番号はもらえなかった。「大学でも部員が多いチームに入って、この悔しさをバネに今度こそ」。前を向く佐藤の隣で、それ以上の大声でいつものように叫ぶ選手がいた。


引退試合の最後は両校全3年生で帽子を飛ばした
引退試合の最後は両校全3年生で帽子を飛ばした

勝つために必要なのか

7月1日昼、鈴木主将ら3人が水谷監督を訪ねた。「お願いです。あいつをメンバーに入れてください」。文武両道ぶりはチームでも屈指。1年生の面倒も誰よりも見た。非力さの克服にたくさん食べて、たくさん鍛えてきた。とにかく元気があって声が出るし、運もある。「頑張ったからメンバーに入れる…それは違うぞ。あいつは勝つために必要なのか?」と監督は3人に問う。「絶対に必要です」と声がそろった。

そんな舞台裏も知らず「あいつ」の、青木亮汰の緊張はピークに達した。1番ショートを夢見て入学したが、どうやらレギュラーには届きそうにない。当落線上だ。背番号発表は終盤へ差しかかる。「呼ばれるかどうか、この30秒で人生が変わる」。先に呼ばれた仲間に懸命に拍手を送りながら、その時を迎えた。

「17番、青木亮汰!」

ゾクッとしたと同時に、反射的に「はい!」といつもの大声が出た。監督の右手を両手で握り「ありがとうございます! 頑張ります!」と叫んだ。直談判がなくとも、水谷監督は青木のメンバー入りを決めていた。予想だにしない行動と結束力がうれしかった。


背番号発表を迎えた横浜隼人ナインと水谷監督
背番号発表を迎えた横浜隼人ナインと水谷監督

「謝らなくていいから」と涙

グラウンドのすぐ横を、東海道新幹線が走る。その音に負けぬよう、20枚の背番号を渡し終えた水谷監督が声を張る。「日常生活の先に優勝がある」と全員を鼓舞する。1秒たりともそれない視線があった。「残念ながら最初に登録したメンバーから落ちた選手もいる。なぁ、力石?」と、その強い視線を名指しした。

「なぜか、よく考えろ。だからと言って、落ち込む必要はないよ。サポートで一生懸命頑張れ。そして次のステージで頑張れ。今年、ここでこういう思いをしたのは力石だけだ。自分の歴史の中で、この経験は絶対にいつかどこかで生かされるから」。

教え子121人、全員のことを知っている。入学時から見違えるほど大きくなり、背番号4をつけたこともある力石琉音が、父のような中学教師を夢見ることも。「大勢の中で自分1人に向き合ってくださって、将来につながる言葉をいただけた」。恩師の金言を胸に夜、力石は帰宅した。「メンバーに入れなくて、ごめん」。母倫子さんは「謝らなくていいから」と泣いた。父裕司さんは「よく頑張った」とすっかり頼もしくなった息子をたたえた。

水谷監督はメンバー発表後、3年生だけを集めた。「今日帰って、お父さんやお母さんにしっかり、自分の言葉で結果とこれまでの感謝を伝えなさい。お父さんやお母さんのおかげで、君たちは野球を頑張ってこられたんです。今日伝える言葉こそが、君たちが親に渡す背番号です」。


1人1人に背番号が手渡され拍手が贈られた
1人1人に背番号が手渡され拍手が贈られた

背番号のない者こそ知っている

手にした背番号、遠かった夏。その差はどこにあるのだろう。メンバーから漏れた3年生たちは「油断があった」「継続力が足りなかった」「結果を求めすぎて視野が狭まった」と、それぞれの壁を振り返った。それらはそのまま、横浜隼人野球部にリンクするかもしれない。近そうで遠い甲子園。全国最大の激戦区神奈川で、わずかの差に泣き続けてきた。

最後の壁を突き破るヒントは、実は背番号のない彼らこそが一番知っているのかもしれない。メンバー20人はそれをどう引き出し、背番号のない彼らはどう表現し、託せるのか。水谷監督は「全員がその気になること。夏は、先生は観客。あなたたちで走らなければ勝てない。考えて走ればいい。3年生全員で全力疾走で駆け抜けろ」と最後の教えを説いた。「全員で幸せになろう」。熱い夏の、明確なゴールだけは伝えた。【金子真仁】