全国大学選手権準決勝で敗退し、大学生活を振り返る佐藤真吾主将(撮影・峯岸佑樹)
全国大学選手権準決勝で敗退し、大学生活を振り返る佐藤真吾主将(撮影・峯岸佑樹)

ラグビーの伝統校の主将が、競技に区切りをつけた。全国大学選手権で最多15回の優勝を誇る早大(関東対抗戦1位、2位枠)のフランカー佐藤真吾主将(4年)が第一線から退き、今春から新たな人生をスタートさせる。

2日の同選手権準決勝で明大(同3位、4位枠)に27-31で惜敗し、創部100周年でのメモリアル優勝はかなわなかった。佐藤主将は後半35分から途中出場。大声を張り、力強いタックルでチームをけん引した。試合後、9年間の競技人生を思い返し、かみしめるようにこう振り返った。「主将としての反省は多々あったが、やるだけのことはやった。決勝で(部歌の)『荒ぶる』を歌えず、悔しいけど、最高の仲間たちと時間を共有できたことは幸せ。ラグビー人生に悔いなし」。

179センチ、93キロ。FWとして決して体は大きくないが、豊富な運動量とタックルを武器に大学2年の時からレギュラーを確保した。しかし、相良南海男監督が就任した昨春以降は、主将ながら控えでの出場が増えた。試合に出場出来ず、試合後の記者会見のみ対応することもあった。自身と葛藤する日もあり「正直、主将が『何で、俺やねん!!』という気持ちの時もあった。そのため、前だけを見つめることに集中した。頭を整理して、チームが勝利するために『何が出来るか』を考えることにした」。

高校日本代表や世代別日本代表など全国で活躍する仲間に囲まれる中、過去に代表経験もない。早大入学時から「ラグビーは大学まで」と決めていた。主将経験も一度もなく、自身のことしか考えない自称「自由人」だった。山下大悟前監督から「主将になってほしい」と打診を受けた時は、戸惑ったが「これも運命」と決意を固めた。伝統校の重圧などで寮の一人部屋にこもって、チームについて考える日も多々あった。日本代表と同じテーマである「ONE TEAM」を志し、Bチーム以下の選手の気持ちも理解して、Aチームとの垣根をなくした。これまでなかった部員全員でBチーム以下の試合も観戦することを徹底した。「勝つためにはチームの一体感が重要だった。全国選手権も練習試合も同じ。どんな試合でも、部員137人全員で試合に臨むという気持ちが大切だと思った」。

同選手権準決勝前日の1日には、年越し恒例の「元旦ゲバ」が実施された。試合に出場出来ない4年生と直前までメンバー入りを目指したBチームが試合して、その“本気の勇姿”をAチームが目に焼き付けた。結果的に10大会ぶりの日本一とはならなかったが、「これも勝負の世界」と現実を受けとめる。12日の明大と天理大(関西リーグ1位)との決勝を秩父宮ラグビー場で観戦していた佐藤主将の言葉が印象的だった。「やっぱり、仲間とこの舞台に立ちたかった。夢はかなわなかったけど、来年の決勝は、このスタンドから『荒ぶる』を大声で歌いたい。仲間に感謝だし、ラグビーを続けて本当に良かった」。

元旦ゲバで果敢なプレーを披露する早大の選手たち
元旦ゲバで果敢なプレーを披露する早大の選手たち

大学卒業後は、第一志望の総合商社で働く。伝統校の主将を務め、卒業後にラグビーを続けないのは珍しいが、海外での仕事を夢見て「人間としての深み」を追い求めるという。ラグビーでの大学日本一の夢はなし得なかったが、今春には22歳の新社会人としての夢実現に向け、確かな一歩を踏み出す。

全国大学選手権準決勝で敗退し、後輩らに言葉をかける佐藤真吾主将(中央)(撮影・峯岸佑樹)
全国大学選手権準決勝で敗退し、後輩らに言葉をかける佐藤真吾主将(中央)(撮影・峯岸佑樹)

【峯岸佑樹】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)