3月27日に閉幕したフィギュアスケートの世界選手権を取材した。
場所はフランス南部モンペリエ。新型コロナウイルスの影響で2020年2月の4大陸選手権(ソウル)を最後に海外出張がなくなり、コロナ禍以降は2022年2月の北京五輪(オリンピック)が最初だった。
久しぶりに国外開催のフィギュアスケートの大会を、現地で取材することができた。
この2年間でオンライン取材の良さも知った。一方、限られた時間での取材で、より深みのある記事を書くために、対面で話を聞くありがたさを再確認した。
女子初優勝の坂本花織(21=シスメックス)のフリー後の取材は、メダリスト会見が終わった午後11時半過ぎに始まった。数人の記者が近くに集まったとみるや、自ら「みなさん、ここでやりますよ~!」と周囲の記者への声かけをしてくれた。そんな和やかな空気で、自然と会話が弾んだ。
坂本「試合前やのに泣いちゃった」
記者「試合前に泣いたのは(直近が)いつか覚えていますか?」
坂本「覚えています。あのジュニアの(グランプリ)ファイナル。フランスで…。またフランスやで!(笑い) フランス、あっちゃぁ~。その時以来かな」
記者「その時も緊張からですか?」
坂本「緊張で泣いていました」
そうしてホテルに戻って調べると、16年ジュニアGPファイナル(マルセイユ)以来、5季ぶりの出来事と分かる。オンラインでは個別取材のような場合を除いて、どうしても質問と回答が“ぶつぎり”となり、会話の流れが生まれにくくなってしまうのが実情だ。
この場にたどり着くまでは、従来と勝手が違った。
予約していた飛行機はロシア軍のウクライナ侵攻による影響を受け、パリへの直行便がキャンセル。何度も予定の再考を強いられ、最終的にはロシア領空の飛行を避けるため、日付変更線に向かって飛び、アラスカ、アイスランド付近を通過して、約15時間かけてロンドンに着いた。乗り継ぎでパリに渡って1泊し、モンペリエ入りは予定より1日遅らせることになった。大会期間中も多くの記者の元に帰国便の欠航、変更のメールが届き、日本時間に合わせて、航空会社に連絡する手間もかかった。
コロナ関連は北京五輪(オリンピック)から帰国後にワクチン接種の予約、接種証明書の発行…。国際スケート連盟(ISU)からの要求で、出発前にPCR検査も受けた。大会が始まってからは日々、鼻からの検体採取が義務付けられた。毎日25ユーロ(約3250円)を払い、痛みにより目はウルウル。帰国前も現地で検査を受け、陰性の証明書を準備する必要がある。現在もフランス滞在中のため、不安は残っている。
コロナ前に比べて、手間は数倍に増えた。それでも現地取材を行えたからこそ、見て、聞いて、感じられたことが、山ほどあった。
ウクライナ男子のイワン・シュムラトコ(20)は、同国代表のTシャツ姿のままで演技を行った。取材エリアでは暗い表情で静かに言葉を発した。決して大きな声ではないが、紡いだ言葉に力が込められていた。
女子の樋口新葉(21=明大/ノエビア)は11位と苦しんだ。フリーの演技後半、ルッツ-トーループの連続3回転ジャンプで転倒。その直後、鳥肌が立つような大歓声が、彼女を包み込んでいた。樋口は言った。
「転んじゃったり、失敗した時や(名前を)コールされて出て行くところで、すごく応援してくれていると感じることができました。すごくうれしいと思いながら滑ったし、苦しい中でも滑りきることができたので本当に感謝しています」
北京五輪アイスダンス金メダルで、地元フランスのガブリエラ・パパダキス(26)、ギヨーム・シゼロン(27)組に対するエールには2人への誇りを感じた。
人と人がつながり、そのぬくもりを感じる大会だった。
来年の世界選手権は、さいたまスーパーアリーナにやってくる。
今度は私たちが、それぞれの立場から温かい大会を作り上げたい。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)
◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは五輪競技やラグビーを中心に取材。21年11月からは東京本社を拠点に活動。18年平昌、22年北京五輪と2大会連続でフィギュアスケート、ショートトラックを担当。19年はラグビーW杯日本大会、21年の東京五輪は札幌開催だったマラソンや競歩などを取材。








