ゲームの王者から、本物のプロレーサーの世界へ羽ばたいた青年の物語を描いた映画「グランツーリスモ」がこのほど公開された。
その主人公と同じく、モーターレーシング二刀流を実現した男が日本にもいる! それが冨林勇佑(27)だ。冨林に話を聞いた。
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試写を見ての感想として、冨林は「物語が人ごととは思えず、とても親近感が湧きました。主人公が自分の人生にオーバーラップし、もし日本版が作られるなら主役は僕だろう、と思ってしまうぐらい、共感しました。映画を見て、リスクを負って命を削りながら仕事をしているリアルレーサーの過酷さを知ってもらえたら、と思う」と話した。
冨林は、レース好きの両親の下に生まれた。父親が昔、レースをしていたこともあり、物心つく頃から車やレースが身近だった。初めてレースを見に行ったのは0歳。当時の記憶はないが、パンフレットなどは今も残っているという。グランツーリスモと出会ったのは5歳。自然な流れでのめり込んでいった。
転機は2007年。レースのアトラクションとして開催されたグランツーリスモの対戦イベントで、はじめてプロのレーサーと並んでプレーする経験をした。翌年の同イベントでは2位になった。しかし、1位との差を強く感じた。そして、もっとうまくなりたいと思った。
生来の負けず嫌いもあって、精進を重ねていった。努力が実を結び、16年にはグランツーリスモの国際大会で優勝を果たす。この実績は、後にリアルレースの世界へつながる大きな1歩となった。
レーサーに対する憧れはずっと抱いていた。カートレースに参加するようになって、実車で競う楽しさを感じていた。免許を取って間もない頃に、大学の自動車部走行会に参加した。
当時乗っていた車はそれほど速くはなかったが、初めて走ったコースで誰よりも速かった。ゲームで重ねてきた練習が、実車でも生かせる、ゲームと変わらないレベルで走れると実感できた。
18年には友人のつてで、ワンメークレースにスポット参戦して優勝。これがリアルレースのデビューとなった。21年からはスーパー耐久シリーズ、22年からはスーパーGTに参戦。「eスポーツレーサー兼リアルレーサー」として実績を重ねている。
アスリートとしてのリアルレーサーと対極的に捉えられがちなゲーマー。リアルレースの世界に進出し、ゲームとの違いや苦労した点を、冨林に聞くと「初めてサーキットを走った時は、意外にも100%ゲームと一緒だなと思った」。恐怖感もそれほど感じなかったという。
「中学時代にサッカーをやっていて、神奈川県の大会で2位になったことも。そこでフィジカルやコミュニケーションスキルを鍛えられたことが今役立っていると思います」。
劇中では、ゲーマー出身の主人公がチームメカニックに軽く扱われるシーンがあったが、冨林も「『本当に乗れるのか?』と疑っている空気を感じることはありました。お世話になっているチーム監督も、最初は『お前ゲーマーやろ!』って。名前じゃなく、ゲーマーって呼ばれていましたし…」ということがあったとか。でも、すぐに結果を出して、監督やチーム関係者を納得させたそうだ。
また冨林は、映画のワンシーンについて触れて「劇中で、主人公が夜中に弟からクラブへ行こう、と誘われます。そこに好きな女の子が来ると知って、彼は行くんです。ここで行けるか行けないかが、成功できるかどうかの試金石になると強く感じました。メンタルの強さ、コミュニケーション力。恋愛から学ぶことって多いと思うので、世界を目指す皆さん、恋愛しましょう!」と、次世代の若者たちにエールを送った。【大津賢一】
◆大津賢一(おおつ・けんいち)神奈川県秦野市出身、92年入社。整理部→電子メディア→整理部と内勤畑を渡り歩き、現在は報道部で釣り担当。幼少期から父親の影響で車好きに。学生時代にF1やルマン24時間レースなどをテレビ観戦し、その魅力に取りつかれる。94年からポッカ1000kmレースをほぼ毎年観戦。電子メディア時代には鈴鹿8耐取材や大阪の2輪レースチームの密着取材などを経験した。