17歳が48年ぶりの快挙を達成した。女子シングルス準々決勝で、世界ランキング8位の平野美宇(エリートアカデミー)が、同4位でロンドン五輪銅メダルのフェン・ティアンウェイ(30=シンガポール)に4-0で快勝し、4強に進出した。3位決定戦がないため、この種目の日本勢では69年ミュンヘン大会で金の小和田敏子、銅の浜田美穂以来のメダルが確定した。今日3日の準決勝で同1位でリオ五輪金メダルの丁寧(中国)と対戦する。

 ガッツポーズで、ぴょんぴょん跳びはねた。女子シングルスでは48年ぶりのメダル。アイドル好きの平野はユニークな言葉で喜びを表した。「めっちゃうれしい。48で、AKBみたいでうれしい」。48年前は母真理子さんの生まれた年だが「めっちゃ前。将来おばあちゃんになって孫に自慢ができる」と興奮は収まらなかった。

 4月のアジア選手権で世界ランク1、2、5位の中国勢に3連勝して優勝。その際に国際卓球連盟に名付けられた「ハリケーン」のニックネーム通りの超攻撃な速攻プレーで、開始から五輪銅メダリストを翻弄(ほんろう)した。「メダルは考えちゃだめと。自分の卓球だけを考えた」。粘られた第3ゲーム以外は終始圧倒。一方的な展開で、歴史を変えてみせた。

 3歳から卓球を始めると、すぐに才能は開花。5歳からメディアに注目されたが、夢は人気キャラクターを売る「キティ屋さん」だった。変化が起きたのは7歳だった08年全日本選手権。小学2年以下の部で優勝すると「夢は五輪金メダル」と宣言した。コーチだった母真理子さんは「制止したけど本気だった。覚悟した」と二人三脚で五輪を目指す覚悟を決めた。

 伊藤との「みうみま」ペアなどで、中学生から世界でも結果を残した。だが、昨年リオ五輪は同学年の伊藤が代表になった一方で落選。補欠として同行したリオでは練習相手を務め、球拾いをした。つらい出来事だったが、自分を見失うことはなかった。人生のプラスに変えるため、何事も前向きに取り組んだ。

 幼少からトップ選手だっただけに、初めて裏方の大変さを知った。「練習パートナーの気持ちが分かった。卓球の練習ができることは当たり前ではない」。帰国後は「さまざまな立場の人の気持ちが知りたい」と、通っている美容師など、いろいろな職業の人に対して積極的に話し掛けた。「視野が広がった。卓球でも相手選手の気持ちを予測したり、作戦の幅も広がった」と母真理子さん。今年の躍進は技術だけでなく、五輪の挫折で得たメンタルの成長も大きかった。

 「ここまで来たら優勝したい」。4月のアジア女王は通過点。夢の20年東京五輪金のためにも、ここで世界の頂点に立つ。