奇跡の東京五輪-。白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子(20=ルネサンス)が、東京五輪代表入りを決めた。100メートルバタフライ決勝で57秒77を出して優勝。日本水連が定めた400メートルメドレーリレーの派遣標準記録57秒92を突破し、バタフライのリレーメンバーが決まった。19年2月の白血病から2年2カ月。24年パリ五輪が目標だったが、驚異的な回復で東京切符を手にして、涙に暮れた。

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涙をぬぐう時、いつもぴったりと指をそろえる。池江は大粒の涙を流した。「優勝できると思ってなかった、5年前の(リオ五輪)選考会よりもずっと自信もなかった。自分が勝てるとは…」と言葉につまった。そして「勝てるのはずっと先のことだと思っていたんですが。本当にもう言葉にできない。つらくて、しんどくても努力は必ず報われるんだな」とまた泣いた。

3年ぶりの日本選手権決勝。日本記録56秒08を持つ本職の1バタ(100メートルバタフライ)。入場口で「ただいま」と叫んだ。「何番でもここにいることに幸せを感じよう」。50メートルのターンは27秒16で2番手。ラスト25メートルでトップに浮上した。「ラストの15メートルで(横を)チラリと見て追いつかれるかな」。最後までキックを強く打ち続けた。「順位が1と見えてびっくり。リレーの派遣も切っていた。何が起きたか、わからなかった」。左拳を水面にたたきつけ声を上げて泣いた。

何度聞いても、切なくなる。東京五輪のヒロイン候補が19年2月、白血病に見舞われた。体重は15キロ落ち、抗がん剤の治療で髪も抜けた。当初は同9月に退院するはずだったが、合併症を併発したこともあり、同12月まで退院できなかった。状態が良くない時、あの意思が強い池江がもうろうとする意識の中で「先生、助けて、助けて」と、か細い声で医師にすがったという。まるで幼子のように。

昨年8月の復帰レースは「細い体で前と違う自分を見せるのが恥ずかしかった」。それがわずか8カ月弱でアスリートらしい姿となり、日本一と五輪切符を獲得した。関係者から驚異的な復活について「宇宙人かな? 超人かな?」と聞かれ、池江は自分のことを「化け物かな」とにっこり。「化け物はないんじゃないか」とたしなめられると「じゃあ妖精にする?」とジョークを飛ばしたという。

池江の病気は5年間、再発しなければ完治になるという。大目標の24年パリ五輪前にリレーでの東京切符を手にして「誰にも泳げなくて勝てないことを思い出した」。昨春はスタート台から飛び込むのが怖くて、下から水に入った。溺れそうなバタフライで25メートルを泳いだ。池江にとって負けず嫌いな心がすべての原動力だった。「今回負けても来年は負けないだろうと思っていた。でもこのタイムは世界と戦えるタイムじゃない。(桜で言えば)七分か八分咲き。いつか五輪で金メダルかメダルがとれたら満開かな」。もう次の目標を口にした。【益田一弘】

◆代表選考方法 個人は日本水連が定めた派遣標準記録(19年世界選手権決勝ライン)を突破して2位に入れば内定。対象は決勝のみ。リレー種目は、リレー派遣標準記録がある。400メートルリレーは、100メートル自由形決勝で同記録を突破して4位に入れば、内定。400メートルメドレーリレーも派遣標準記録が設定されており、100メートル種目で1位になった選手が対象。今回の池江はこの条件を満たした。

◆競泳のメドレーリレー 4選手が異なる4泳法をリレーして競う種目。泳ぐ順番はスタートで飛び込みのない背泳ぎが最初で、平泳ぎ-バタフライ-自由形と続く。第2泳者以降は前の泳者がタッチする前にスタート台から足を放すと失格。引き継ぎのうまさも、タイムを大きく左右する。五輪では、男女とも1960年ローマ大会から400メートル種目が採用された。

選手層の厚さが求められることもあって、日本は男女ともコンスタントに決勝に進出している。女子は2000年シドニー大会(中村真衣、田中雅美、大西順子、源純夏)12年ロンドン大会(寺川綾、鈴木聡美、加藤ゆか、上田春佳)で銅メダルを獲得。男子も過去に銀1、銅3と計4個のメダルを獲得している。

大会の「トリ」として最終日最終種目で行われるのが恒例。五輪や世界選手権ではメドレーリレー要員として選出された選手が個人種目に出ることもある。