生まれ育った杜(もり)の都・仙台、宮城に恩返しする。

16年リオデジャネイロ五輪バレーボール女子日本代表の佐藤あり紗(31)が、Vリーグ2部(V2)のリガーレ仙台(宮城)で選手兼監督を務めている。東日本大震災から10年の今季は、10月開幕のV2リーグに初参戦する。東北福祉大卒業まで宮城で競技に打ち込み、V・プレミアリーグと五輪を経験した指揮官が、コート内外で奮闘している。【取材・構成=相沢孔志】

    ◇    ◇    ◇

創部1年目から在籍する佐藤がクラブを先導する。昨年10月、日本バレーボールリーグ機構の理事会でS3ライセンスが交付され、今季21-22年シーズンからV2参戦が承認された。「チームができてからVリーグ参入を目指してやっていたので、参入できることはすごくうれしい」。リーグのカテゴリーはV1~3。交付されたライセンスではV3での戦いとなるが、チーム数の減少でV3は開催されないため、特例でV2参戦が認められた。

積み上げてきたものをチームに還元していく。12年、東北福祉大から日立に入団。守備の要を担うリベロとして、翌13年には仙台で日本代表デビュー。「いろんな方が当日券を買ってくれて。『試合を見たよ』と、街を歩いていても声をかけてもらったり、反響はすごかったです」。16年にはリオ五輪代表に選出され、5位入賞に貢献。V・プレミアリーグの15-16、16-17年と2季連続でベストリベロ賞を受賞。日本を代表するリベロに成長した。17-18年を最後に日立を退団。同年8月、リガーレ仙台入団が決まった。

佐藤 いつか仙台でバレーをするというのは私の中ではありました。バレーボール教室や私が競技を通して学んだことを伝えることで、誰かの何かのきっかけになってもらえたらと思っていました。タイミングよくチームもでき、運が良かったというのも恵まれていたと思います。

発足会見に出席した選手は3人。以降はトライアウトなどで19年春には12人となり“チーム”に。創設1年足らずで同年8月の全日本6人制クラブカップ女子選手権で初出場初優勝を果たした。だが、同年9月に船崎恵視監督の退任が発表され、選手兼監督に。

佐藤 最初は監督っぽくしないといけないのかなという葛藤がありました。でも、私も選手をしているし選手の延長で良いのかなと思って。リベロでも指示や気づいたことを言っていたのでより細かく1人1人見るように心がけています。

昨年12月はV1全12チームなどが出場する皇后杯ファイナルラウンドにクラブ推薦で初出場。選手の多くは在籍2年目までのフレッシュな構成だったが、1回戦の福岡大をフルセットの末に突破。2回戦はV1岡山シーガルズにストレート負けも、収穫が多かった。

佐藤 (V1相手に)1人1人が1点を取りにいく姿勢が見られた。試合前までは1戦1戦が経験と思っていたんですけども、V1のチームにも勝とうという意志が強い選手が多かったので大きく見方が変わりました。それからはVリーグの目標は「優勝」という思いになりました。

チームには今春、大卒3選手が加入。東北出身や学生時代などに東北でプレー経験がある選手は12人中9人いる。佐藤は東日本大震災発生当時、東北福祉大3年で東海大(神奈川)での合宿に参加していた。練習試合は中止となり、約1週間を施設内で過ごした。その後、選手らは各自解散となったが、佐藤ら宮城出身の選手は同施設内で3週間を過ごした。仙台帰省後は知人の家で泥掃除をし、バレーボール部は岩手・陸前高田市で4日間ボランティア活動を行った。

仙台に戻って3年。母校の活躍にも刺激を受けている。高校は全国優勝経験がある古川学園(宮城)。さらに同大は昨年の全日本大学選手権で8強入り。3学年下には、4月の米男子ゴルフツアー・マスターズで日本勢初優勝を成し遂げた松山英樹(29=LEXUS)がいる。

佐藤 (震災から)3週間後に仙台へ帰ることができたのは、ゴルフ部が海外合宿をしていて、一緒にバスで帰らせてもらったんです。そこで初めて松山選手を見て。大学生のその時に見たのが最初で最後だったんですけど。一緒にバスに乗ったんだというのはちょっと自慢にしています(笑い)

現在は講演活動やママさんバレーボール教室、トークショーなどで自身の経験を伝えている。

佐藤 選手以外でやっている活動を続けていくことが目標にしていることなので継続してやっていきたい。いろんな状況もあるので選手はあと何年やれるかわからない。選手であろうと監督であろうと、今まで経験させてもらったことを言葉やプレーで伝えて、その人の何かのきっかけやポイントになってもらえたらいいなと思います。

チームは6月に富山県で行われるV・サマーリーグで今年最初の公式戦に臨み、国体予選、皇后杯予選などを消化して、10月開幕のリーグ戦に挑む。

佐藤 チーム自体が県内や他県でも知ってもらえていないので、まずはリガーレ仙台をいろんな人に知ってもらえるように。リガーレ仙台のバレーは、見ている人が思うカラーで良いのかなと。1点1点の取り方は毎回違うので。選手の一瞬の判断や意志あるプレーを見てもらいたいなと思います。

チーム名の「リガーレ」はラテン語で「結ぶ」「つなぐ」の意味。大黒柱を中心に、チーム一丸でリガーレ仙台を全国に発信していく。

◆佐藤あり紗(さとう・ありさ)1989年(平元)7月18日生まれ、仙台市出身。西多賀小-富沢中-古川学園-東北福祉大。12年、日立リヴァーレ入団。13年、全日本代表初選出。16年はリオ五輪代表として5位。18年5月に日立を退団、同年8月、リガーレ仙台入団。19年9月から選手兼監督。ポジションはリベロ。165センチ。