ラグビー界のレジェンド松尾雄治氏(65)が25日、第2の故郷・釜石の「復興ゲーム」に駆け付けた。

ワールドカップ(W杯)フィジー対ウルグアイ戦に合わせ、同地入り。新日鉄釜石時代、主力として日本選手権V7に貢献した思い出の地でのイベントに登場しラグビーへの熱い思いと、釜石愛を語った。

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市中心部に設けられたファンゾーン。お笑いコンビのサンドウィッチマンとの試合前トークイベントで、「元祖ミスターラグビー」松尾氏の口からは、釜石で開かれるW杯への思いが次々と飛びだした。「ラグビーは1人じゃできないんだ。みんなで助け合う。そんなスポーツはほかにないよ」。高校、大学とスタープレーヤーだった。華麗なステップ、意表を突くロングキック、正確なショートパントなどを駆使して当時の先端を駆けた。新日鉄釜石では日本選手権V7の原動力となった。

当時「鉄の結束」を誇った新日鉄釜石は寡黙な猛者ぞろいだった。大学トップレベルでプレーした選手は2年間に1人か2人が入るかどうか。残るは地元や東北の高校を卒業した無名の選手ばかりだった。それを溶鉱炉のような情熱でたたき上げ、鋼のように鍛えあげた。そんな集団を松尾氏は卓越した戦術で率いた。

11年3月11日の震災以来、「9年間お世話になった第2の故郷」の復興を支援するため、OBが中心となって設立したNPO「スクラム釜石」の発起人に名を連ね、積極的に活動を続けてきた。その1つの到達点として、この釜石でのW杯がある。松尾氏は観客に向け「1人1人がボールをつなぐ献身的なプレーを見てほしい」と訴えた。

同じ司令塔のスタンドオフとして、松尾氏の後継者とされた故平尾誠二氏についても言及した。「彼は若い時から外国勢に勝つための戦術を考えていた。日本開催のW杯を誰よりも楽しみしていたはず」。平尾氏は開催3年前の16年10月、53歳の若さで逝去。この日この場に、一緒にいてほしかったもう1人の「ミスター」をしのんだ。【大上悟】